【1805冊目】町山智浩・柳下毅一郎『ベスト・オブ・映画欠席裁判』
- 作者: 町山智浩,柳下毅一郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: 文庫
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映画本3冊目。
今、映画を語らせたらこの二人の右に出る者はおそらくいないであろう、最強のコンビによる超強力対談。1997年の『タイタニック』に始まり2007年の『007カジノ・ロワイヤル』に至る約10年間の新作映画を、ひたすらバッサバッサと斬りまくる一冊だ。
とにかく二人のトークがめっぽう面白い。1ページに1回はにやにやし、5ページに1回はプッと噴き出し、10ページに1回は悶絶する(一番爆笑したのは「スター・ウォーズ=巨人の星」説のあたり)。しかも映画評がチョー辛辣。毒舌全開罵詈雑言オンパレードである。だがどの悪口も、amazonのレビューみたいな無知で感情的な「感想」ではなく、確固とした根拠と映画観がバックにあることが分かるので、読んでいて不愉快になるどころか、納得感と快感しか感じない。
だいたい雑誌の対談で(本書のほとんどは雑誌『映画秘宝』での連載対談)実名名乗ってこれだけのキツイ批評が言えるのは、誰に何と言われても言い返せる自信があるからだろう。私のような小心者は、その自信のほうに恐れ入ってしまう。クリント・イーストウッドにナイト・シャマラン、ソフィア・コッポラにローランド・エメリッヒといったハリウッドのお歴々を一刀両断し、『デビルマン』の那須博之(なんとその後お亡くなりになった)やら『どろろ』の塩田明彦に至っては、跡形も残らないほどの酷評爆弾。まあ、『どろろ』は私も観に行って激しく後悔したクチなので、内容的には大賛成だけど。
そして、速射砲のようなギャグとバズーカ砲のような罵詈雑言の間でキラリと光る映画評、人物評がおもしろい。例えば『千と千尋の神隠し』の評では、「湯屋=ソープランド」説に仰天した。(ちなみに以下「ガース」が柳下氏、「ウェイン」が町山氏。本書は全部「ガース」と「ウェイン」の名前で会話が進むので、読んでいるうちにどっちがどっちか分からなくなる)
「《ガース》(略)10歳の少女が湯女(ゆな)をやらされる話だけど、湯女って江戸時代のアレでしょ。
《ウェイン》売春婦だよね。ソープ嬢と同じだからさ。『千と千尋〜』の湯屋の門前には、食べ物屋ばかりズラッと並んでるけど、遊郭の大門の前にも茶屋が並んでて、ご飯食べて酒飲んで盛り上がってから廓に繰り出すようになっているんだよね」(p.176)
「《ガース》千尋のことを湯婆婆が「今日からお前は千だ!」ていうのも源氏名でしょ。だからどこをどう見ても10歳の少女をソープランドで働かせる話なんですよ。それが興行収入100億円突破の国民的大ヒットで、親子連れ殺到」(p.178)
言っておくが二人は『千と千尋』を批判しているのではない。批判されているのはむしろ、このことをどの本も突っ込んでいないこと。その理由はなぜかというと……これがまたアレなのだが、さすがにここではちょっと書きづらい。詳しくは本書をどうぞ。
他にもルーカスの人間不信やらスピルバーグの残酷趣味など、誰もがうすうす気づいているけど見ないフリをしているポイントを、お二人はどんどんつつきまくる。だがその容赦のないコメントの向こう側に、映画というものそれ自体が、途方もなく面白いものとして立ちあがってくるのだから、ものすごい。
さらに、相方のボケを聞いて(たぶん)瞬時にある映画に絡むネタだと気付き、的確に相手にリターンするというこの会話を読んでいると、笑うより先に圧倒されてしまう。要するに本書は、膨大な知識に裏付けられつつきっちり「エンタメ」している、ハイレベルの「映画漫才」なのだ。出てくる映画よりずっと面白いのが困りものだが……