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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1802冊目】井手英策編『日本財政の現代史1』

法務・財務・議会

日本財政の現代史1 -- 土建国家の時代 1960~85年 (「日本財政の現代史」全3巻)

日本財政の現代史1 -- 土建国家の時代 1960~85年 (「日本財政の現代史」全3巻)

全3巻シリーズの第1巻。サブタイトル「土建国家の時代 1960〜85年」が示すとおり、だいたい高度成長、オイルショックからバブル前夜くらいまでの日本財政史を扱っている。

著者は13人で、だいたい1〜2人が1章を担当しているが、私が知っていたのは編者の井手氏くらい。若手の学者がメインなのだろうか、博士課程在籍中の方も多い。時代ごとではなくテーマごとに執筆分担をしているらしく、同じ時代、同じ社会状況が、さまざまな切り口から見えてくる。

全体として志向されているのは、「土建国家」などと呼ばれることの多い、戦後日本の財政構造がどのように形成、運営されてきたか、というところ。とりわけ多くの著者に共通するのが、日本が現在のような巨額の財政赤字を背負うようになったのはなぜか、という視点である。もっともこれは戦後日本財政史全体を貫く大テーマであり、おそらく今後、第2巻、第3巻と続く中で解き明かされていくのだろう。

この財政赤字の問題とは、言い換えればなぜ今のような、大量の国債発行に依存する財政構造ができあがってしまったのか、ということだ。多くの著者がこの点について、大きく2つの「時点」を指摘する。

最初は1965年度予算。それまで大蔵省は、歳入欠陥が生じないよう、税収の見積もりを厳し目に行ってきた。ところが時の大蔵大臣田中角栄が、最初から目いっぱいの税収を見込むように指示してきたという。結果として(案の定、というべきか)税収に不足が生じ、それを埋め合わせるための公債発行に踏み切らざるを得なくなった。

2つ目は1974年度予算で、この時の総理大臣もまた田中角栄だった。この時は2兆円規模の減税に田中が固執し(大蔵大臣福田赳夫)実現のため財政引き締めが行われたが、折しもこの年は「福祉元年」と呼ばれ、社会保障費が増加し始めた年だった。さらにオイルショックによる減収が追い打ちをかけ、3兆7,500億円の赤字国債が発行、公債依存度も急上昇したのである。

これに危機感を感じた大蔵省は「総額締め付け方式」で歳出予算を抑え込もうとする。「総枠を締め付けて、狭くした土俵の上で相撲を取らせる」ことにしたのだ。だが皮肉にも、これがいわゆる族議員政治を生んだ。限られたパイの予算をより「ぶんどる」べく、省庁と議員がタッグを組んで、それぞれの利害が絡む部分の予算要求を行った。著者は、こうした族議員政治の本質を「個別利益の獲得競争」と呼ぶ。

こうした「分捕り合戦」は、公共事業の増大につながる一方、「個別の利益につながらない領域」は抑制されることになった。本書の例でいえば「大学教育を無償化するより、文教施設の整備費を要求する」ような状況だったのだ。

こうした個別利益の奪い合いは、「サービスの拡充のために必要となる財源を増税によってまかなう」という、ある意味まっとうな発想とは程遠いものであった。さらにそれに拍車をかけたのが、第5章で取り上げられている財政投融資(財投)だった。

財政投融資とは「税負担に拠ることなく、国債の一種である財投債の発行などにより調達した資金を財源として、政策的な必要性があるものの、民間では対応が困難な長期・低利の資金供給や大規模・超長期プロジェクトの実施を可能とするための投融資活動」である(財務省ホームページより)。

その財源となったのが、言うまでもなく郵便貯金を中心とする国民の貯金だった。貯金は国債の購入や貸付金となり、それによって調達された資金公共投資に回る。著者(宋 宇氏)はこの状況を「国民の貯蓄が租税として一般会計に向かうのか、あるいは税として徴収されず、財投を通して公共投資に向かうのか」の違いであると、ミもフタもないほどわかりやすくまとめている。

同じ「お金の流れ」であるが、両者の違いは大きい。税として徴収する場合、使途が国民の財政ニーズに対応しているかどうかが厳しく問われることになる。だが、貯蓄が巡り巡って財投として使われる場合、公共投資であろうが中小企業融資や農村への貸付だろうが、基本的に使途をシビアに問われることはない。

私が財政にシロウトなので感心しているだけなのかもしれないが、この説明は見事である。なぜ個別給付の福祉サービスより公共投資が優先されるのか、なぜ増税にはきわめて拒否的な国民が、貯蓄で国債が買われることには無頓着なのか、そしてなぜ、ここまで財政赤字が膨れあがり、しかも誰も何の責任も取っていないのかが、「財投」というキーワードをかませるだけでするすると理解できてしまう。

もちろん財投だけが「犯人」ではないが、この壮大な無責任体系の中心に財投があることは間違いないだろう。これに上の「族議員政治」を組み合わせれば、さらに「仕掛け」は明瞭に見えてくる。

「納税者の立場からみれば、これまで、低い税負担によって、社会資本や「福祉」の提供を受けることが当然だったということである。こうした経験は、増税を求める政治に対して、政府の非効率性を批判させる社会的、政治的基礎を醸成した。つまり、日本の租税抵抗は財投に依拠した土建国家の1つの帰結だったのである」(p.148)

そして、バブル崩壊後、いよいよ日本は迷走する。to be continued…といったところだろうか。第2巻も早く読んでみたい。

日本財政の現代史2 -- バブルとその崩壊 1986~2000年 (「日本財政の現代史」全3巻)