自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1794冊目】平岩幹男『自閉症スペクトラム障害』

自閉症スペクトラム障害――療育と対応を考える (岩波新書)

自閉症スペクトラム障害――療育と対応を考える (岩波新書)

「障害者をめぐる20冊」16冊目。

自閉症」は聞いたことがあり、「高機能自閉症」くらいなら聞き覚えがあっても、この「自閉症スペクトラム障害」という名称は、聞いたことがないという方が多いのではないだろうか。

細かい説明は本書に譲るが、まず「高機能自閉症」の「高機能」とは(なんだかパソコンや洗濯機の宣伝文句みたいだが、そうじゃなくって)、知的に障害がない、ということを意味する。これに対して知的障害のある自閉症を「カナー型自閉症」と呼び、この両者を連続的に捉える概念が「自閉症スペクトラム障害」だ。

ちなみに英和辞典を引くと、「スペクトラム」の意味は「連続体」とあるが、一番目に出てくるのは光学用語の「スペクトル」。分かりやすいのは虹の色で、よく「七色の虹」というが、実はあの7色はキレイに分かれているのではなく、連続的に変化するグラデーションになっている。自閉症も同じように、カナー型と高機能自閉症の間にはグラデーションがあり、別のものとして完全に分けることはできないのだろう。

しかし、なぜこうした見方が重要なのか。実は、これまでカナー型自閉症はいわゆる「知的障害者」として対応されてきた。一方、高機能自閉症発達障害の一種とされ、障害者手帳ベースで言えば、精神障害者として手帳取得ができるようになっている。

しかし、特にカナー型自閉症の場合、本来であれば自閉症の特性にあわせた個別のプログラムが必要なのに、最初から、他の(自閉症者以外もまじった)知的障害者としての集団療育が行われてきた。一方、知的障害を伴わないケースの場合、「この子の個性」として自閉症を捉え、「温かい目で見守る」対応がされやすい。どちらにも共通するのは、自閉症という「障害」に対応した個別のプログラムに基づく「療育」が適切な時期に行われない、ということだ。

そのため、本書は「自閉症の子どもへの療育」の必要性を強く訴えるとともに、その内容を詳しく紹介している。カナー型自閉症高機能自閉症それぞれについて、具体的な障害の特性を深く理解した上で編み出された、具体的で実践的な療育の手法は、すでにかなりの数にのぼる。本書では、専門機関で行うものだけではなく、家族でもできるものも多く紹介され、さらには幼稚園や保育園での注意点、学校生活のこと、いじめや不登校、ひきこもりへの対応、さらには職業選択や就職のことまで、自閉症に特化した具体的なアドバイスが満載である。

したがって、本書は誰よりも、わが子を自閉症と診断された親が読むべき一冊である。障害を理解し、その特性を踏まえてどのような対応をすればよいかがことこまかに書かれている。特にくりかえし強調されているのは「ほめること」。それも、指示をスモールステップ化し、なるべく日々の行動を細分化し、一つ一つをちゃんと「ほめる」ことが大事だという。一方、叱ることにはあまり意味がないようだ。特に、感情的に「怒る」ことはまったくの無益。療育という観点から言えば、叱るような状況を作ってしまったこと自体が、そもそも失敗なのである。

まあ、そうは言っても今まで叱ってばかりいたわが子を急にほめ出してもウソくさい、と思われるかもしれないが、そんな時は、最初は「ありがとう」から始めると良いらしい。とにかくこまめにほめる。ダメだったら指示の仕方が悪かったと考える。本人を評価し、本人の自尊感情セルフ・エスティーム)をできるだけ高めていく。その蓄積が重要であるという。

「ほめられることは蓄積されますが、叱られることは蓄積しません。慣れるだけです」(p.126)


著者のこの指摘は、子をもつ親としても耳が痛い。自閉症について書かれた本なのだが、後半は特に、子育ての方法論として親の目で読んでいた。具体的なメソッドとしてきちんと構成されたものばかりなので、参考になる点は実に多い。

ところで、自閉症スペクトラム障害の人はかなり増えてきているらしい。なんと30年前の10倍以上というが、これはもちろん、特に高機能自閉症の概念が最近になって確立し、診断でひっかかるようになってきたのが大きい。

言い換えれば、昔は「ヘンな子」「変わった子」で済んできたものが、実は自閉症という「障害者」だった、ということになってくるのである。早期の療育という観点からみると、これはその子どもにとって大変な機会損失であったといえるだろう。本書が親はもとより、教育や福祉の関係者に、幅広く読まれるべきゆえんである。