自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1793冊目】野沢和弘『あの夜、君が泣いたわけ』

あの夜、君が泣いたわけ―自閉症の子とともに生きて

あの夜、君が泣いたわけ―自閉症の子とともに生きて

「障害者をめぐる20冊」15冊目。

しんみりと心に沁みるエッセイ集。情感にあふれ、詩情があって、余韻があって、でも文章は的確で、読みやすい。著者は毎日新聞論説委員で、いわば文章を書くプロなのだが、新聞の記事や社説とはちがったゆるやかな温かさが、この本からは感じられる。

著者のお子さんは自閉症である。本書のエッセイは、そんな子どもとのエピソードや、そこからつながりが生まれた福祉関係者や団体、他の障害者の方との関係にまつわるものが多い。本書の温かさは「障害のある子どもの親」という当事者性からくるものなのかもしれない。

脳性マヒで寝たきりの子どもを世話するのも大変だが、独特のこだわりに強く支配される自閉症の子どもの親も、別の意味で相当に大変である。自閉症者には、程度はさまざまだが、決まったルールが破られたり、予想外のことが起きるとパニックになる人が多い。大きな声を出したり暴力を振るうこともある。

また、著者のお子さんのように知的障害を伴う自閉症だと、自らの立場を主張し、抗議の声を上げることもできない。だから著者は「身体障害者の〈弱さ〉がうらやましくなるときがある」と書く。

「社会が彼らの〈弱さ〉を認め、その〈弱さ〉を背負って抗議の声をあげる彼らに沈黙するとき、私は彼らをねたましく思う。知的な障害のためにそうした抗議の声をあげられないことにつけ込まれ、徹底的に踏みつけられて道ばたに打ち捨てられている障害者を見てくれと叫びたくなる」(p.192)

もちろん、身体障害者だって大変なことは多い。本書に出てくるエピソードで印象的だったのは、聴覚障害者の手話通訳をめぐる話だ。ある研究会に参加する聴覚障害者は、手話を介さなければみんなの議論を理解できないため、いつも手話通訳者を連れて来ていた。ある時その委員が怒りをあらわにして訴えた。「なぜ私だけが手話通訳を連れてこなければならないのだ。私だけがみなさんと違う負担をどうしていつもしなければならないのだ」と。

その時著者は、自分が必要としているから手話通訳を連れて来ているんだろう、ぐらいにしか思わなかったという。だが別の機会に、聴覚障害者のタウンミーティングに参加した時、はたと気付いた。本番前の打ち合わせで、みんなが手話で「会話」している。自分だけが理解できず、ついていけない。著者はついに声を挙げた。「手話通訳はいないのですか?」

結局、手話通訳の役割は二つあるのだ。誰かが話した内容を手話にすることと、誰かが手話で訴えたことを話し言葉にすることと。両者は等価であって、問題は「手話が理解できて、話が聞こえない」人と「話が聞こえて、手話が理解できない」人のどちらが多いか、ということにすぎないのだ。そこに気付くか気付かないかが決定的に重要で、気付かないまま安閑と「多数派」でいることは、結果的に少数派の障害者を差別していることになる。

障害者がいるからこそ気づかされることもある。ロス五輪の金メダリスト、柔道の山下泰裕氏の次男は自閉症だそうだ。そして、自分一人の力で道を切り開いてきたと思っていた山下氏は、次男のおかげで「誰ひとり、自分の力だけでは生きてはいけない」ことに気づいたという。

「どんなに努力してもどうにもならないことが、時として人生には起きる。しかし、できないことが恥ずかしいのではない。弱いところや足りないところを持っている人々が支え合って生きている。それに気づかないことの方が恥ずかしいのではないか。誰だってひとりでは生きていけないのだ。ふだん私たちはそれに気づかずに生きているだけなのである」(p.75)


先日この読書ノートにも取り上げたが、かつて重症心身障害児施設「びわこ学園」を創設した糸賀一雄は「この子らを世の光に」という名言を残した。その意味は、違うかもしれないが、ひょっとするとこういうことだったのかもしれない。障害のある人々こそが、かえって世の中の「光」になりうるのだということ。それによって見えてくるものがたくさんあり、それによって社会や人間関係が奥行きを増し、豊かなものになること。障害福祉というものは、まさにそこを原点として考えていかなければならないのではないだろうか。