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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1791冊目】野辺明子・加部一彦・横尾京子編『障害をもつ子を産むということ』

障害をもつ子を産むということ―19人の体験

障害をもつ子を産むということ―19人の体験

「障害者をめぐる20冊」13冊目。今度は「出生」から障害を考える。

それにしても、こういう本を読むたびに思うのは、自身や身内が障害をもっていない自分が、障害についてこういうところで書いたりしていいんだろうか、ということだ。

本書は、実際に障害をもった子を産んだ父母が綴った19の体験記だ。読めば読むほど、その体験を我がこととして感じること、考えることの難しさを感じる一冊である。

だいたい、子どもが障害をもっていると知らされるのは、ほとんどの場合、どんな親にとっても「晴天の霹靂」だ。ある母親は、障害児やその親にボランティアで関わったことがあり、「障害イコール不幸と決めつける差別的意識に怒りも感じて」いたにもかかわらず、実際に自分の子が障害をもっているかもしれないと知らされた時「私たち夫婦に差し出された踏み絵のような気すら」したという。障害児の親であり本書の編者の一人でもある野辺明子氏は、次のように書いている。

「それまで障害児・者問題に関心をもっていたとしても、しょせんそれは他人事であり、いざ自分の身に降りかかる問題となると動揺してしまう。それまではどこか安全地帯に身を置きながらのかかわり合いだったのが、全て自分が引き受けなければならない当事者になってみると、まったく事情は違ってしまうのだ。そんなものだ。障害児という言葉にはそれほど親を当惑させてしまう衝撃力がある。私もそうだった」


そして、本書を読んで痛感するのが、そんな「衝撃力」を受けたばかりの親にとって、出産当初に必ず関わってくる医療関係者との関係がどれほど重要であるか、ということだ。私は本書を読むまで、障害をもった子どもを産んだ親への心理的ケアやカウンセリング等のノウハウは、医療関係者の常識として共有されているものだと思っていたが、甘かった。むしろ本書から読み取れるのは、医者や看護師、助産師といった「プロ」が、親に対してなんと無神経に振る舞い、言葉を投げつけることか、ということだ。

障害をもって生まれた子どもを見て「何か薬でも飲んだの?」と聞く看護師。子どもの様子が心配なあまり時間外に電話をかけた母親を、時間外に電話をかけるなと怒鳴る看護師。NICUでは警告音がピーピー鳴っていても「これはすぐ誤作動するのよ」と子どもの様子も確かめない看護師。親が同じエレベーターに乗っているのに「おい、なんだよあの子、助かるのか?」と言った医師……。読むだけでも腹が立ってしょうがない。

また、多くの親が語っているのが、情報を隠されることへの不安だ。「産後の母体に障るから」と、自分の子どもの障害について「母だけが知らされない」という状態が、いまだに多くの病院でまかり通っている。しかしそのことは、精神的な安定につながるどころか、余計に母親を苦しめる。医師でもある編者の加部氏は、次のように指摘している。

「出産直後の母親が精神的に動揺しやすいことも事実だろう。しかし、それを理由に「のけ者」扱いにすることが正当化できるだろうか。赤ちゃんに何らかの異常・障害があることを知り、動揺しない母親はいない。しかし、同時に、動揺しない父親もいないのである。母親が「興奮状態」になるのであれば、それを精神的に支えるケアが求められこそしても、「興奮する」、「だから隠す」という発想に、人間を思いやる心を感じることができようか」


まったくそのとおりだと思う。本書を読んで何より愕然とさせられるのは、加部氏が書くような「精神的に支えるケア」「人間を思いやる心」を欠いた病院、障害をもった子どもを産んだ親の心理に対する想像力の欠如した医療関係者がどれほど多いか、ということだ。

一方で本書には、不安や自責の念に苦しんでいたところを看護師や医師の一言に救われた、という事例も多い(本当に多い)。それは本当に素晴らしいことだと思う。だが、そもそも、それを個人の資質任せにしていること自体が問題であろう。少なくとも最低限の心理的ケアの考え方とノウハウくらいは、産科医療に携わるすべての関係者の共通認識としておくべきではないだろうか。

そして、自治体関係者にとっても、これらは他人事ではない。口唇裂についてよく知らず「珍しそうに息子を見て」いた保健師が本書に出てくるが、おそらく医療関係者の次に親たちと関わりをもつのは、保健所をはじめとした自治体の職員なのである。その時にわれわれは、相手の心情に寄り添いつつ、的確に情報を提供できているだろうか。事務的で冷たい対応をしてはいないだろうか。細かいことを聞いてくる親を、口うるさく面倒な存在だと感じてはいないだろうか。

確かに、行政に対して最初から不信感をもって接してくる方もおられることは事実である。しかしその背後には、本書で書かれているような、それまでのさまざまな「関係者」の対応への不満や不信の蓄積がすでに存在することが多い。自治体の窓口や訪問の現場で、その「不信の蓄積」をさらに上積みしてしまうか、少しでもその不信をやわらげ、あるいはその不信感ごと、その方の心情に沿うことができるか。「行政への信頼」とは、実は、その一点にかかってくる問題なのである。