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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1788冊目】高谷清『重い障害を生きるということ』

重い障害を生きるということ (岩波新書)

重い障害を生きるということ (岩波新書)

「障害者をめぐる20冊」10冊目。

重度心身障害者、と言われる方々に、お会いになったことはあるだろうか。

施設に入っていたり、在宅であっても家と学校や施設を車で往復していることが多いから、公共の場で目にする機会はあまりない。私は仕事の関係上、そうした方々と接する機会が多いのだが、最初に見た時は、正直いってショックだった。

状況は人によって違うが、多くは寝たきりで、せいぜい車椅子を持ち上げて座位に近い姿勢をとれる程度だ。言葉は出ても唸り声程度、こちらの言っていることもほとんど理解できないことが多い。もちろん個人差があって、自分の名前を呼べば反応する方はけっこういるし、快・不快の表現も、慣れればけっこう見分けられるようになるのだが。

とはいえ、私の場合はあくまで「役所の職員」としてのかかわりなので、著者のように現場で支援や医療に携わっている方とは、やはり見えているものがかなり違う。その点、本書の著者は重症心身障害児者施設「びわこ学園」に勤務する医師で、14年にわたり園長も務められている方。本書に書かれている、その日々の経験からくる障害者理解の深さと広さには、驚かされることばかりであった。

自分で移動することができず、言いたいことも言えず、それどころか反応さえほとんどない。そんな彼らを見ていて思ってしまうのは、「彼らにとって、生きるとはどういうことなのだろうか」「彼らは単に「生かされて」いるだけなのではないか」ということだ。

確かに、彼らの多くは外界の刺激にほとんど反応しないことが多い。だが、だからといって彼らに「意識」や「感覚」がないと言えるだろうか。興味深いのは、この点について、著者が意識や感覚を「外面・外在」と「内面・内在」にわけていることだ。

外面意識・外在感覚とは、要するに「反応」のこと、外から見てそれと察することのできる意識や感覚のありようを言う。それに対して内面意識・内在感覚とは、文字通り内部の意識や感覚である。

著者は自身の経験をもとに、重度の心身障害があっても、内面の意識や感覚は存在し、それに基づく「快」「気持ちよさ」の感覚はあると言う。

例えば、ある子どもは外ではほとんど反応を示さないが、母親が近づくとうれしくほっとした感じになり、父親が近づくと全身を硬くする(嫌がっているのではなく、喜びの気持ちが全身を硬くするという表現になる)。施設に入園している別の子どもは、母がベッドに近づくと静かになり、抱っこすると身体が柔らかくなる。母が横で話をしていると「言葉に反応して「返事」をしている」と看護師はいうが、実は彼は大脳が乳児期に破壊されているのである。

「重い心身の障害のある人たちへのとりくみは、心身の機能の改善のためもあるだろうが、基本的には「生命体の維持」と本人が「気持ちがよい」状態にあるためと考えられる。あえて言えば、この状態がこの人の「生命的存在」であり、「生きがい」と言ってよいのではないだろうか」(p.78-9)


こう言っても、それが生きているってことなのか、と言う人もいるだろう。だが、それなら「生きる」って何なのか。生きがいって何なのか。こう考えていくと、私たち自身が、生きるということをずいぶん狭く捉えていることに気付かされる。この本を含め、重度障害の方々について考えるときにわれわれが直面するのは、彼らがいわば「鏡」となって、読み手自身にとっての「生きること」を突き付けてくるという現実である。

さて、こうした心身にわたる重度の障害が生じる原因はさまざまである。約半数ははっきりと原因がわからないという。にもかかわらず、特に出産した母が夫の親族から責められ、離縁させられるといったケースは、現代でもまま見られるという。

そもそも障害の発生理由を遺伝的要因だけで考えること自体がナンセンスなのであるが、たとえ遺伝性疾患のせいであったとしても、そのこと自体に意味がある、と著者は指摘する。彼らは人類を守る「戦士」である、と言うのである。

「遺伝性疾患については、悪い遺伝子のためと考える人もいるが、遺伝子にはよいも悪いもなく、生物のそれぞれの種の存在にとって必要な情報であり、多様な遺伝子の存在によって生物種が保たれ存在している。また遺伝子の組み合わせによって個体に多様性があり、ある個体は生存や生活に不自由をきたす状態がおこる。そのような状態を引き受ける個体があることによって、その生物種の生存が維持されているという関係にある。いわばその生物種の生存を守っている「戦士」と言ってもよいのである」(p.92-3)


単なるおためごかし、と思われる方もおられるかもしれないが、私は、この指摘には、ホントに目からウロコが落ちた。そういう見方があるのか、と驚いた。だが、考えて見ればこの発想は筋が通っている。

遺伝的な変異がなければ進化はなく、ひいてはわれわれ人類の存在自体もないのである。その変異にはさまざまな幅があり、その一部がいわば「障害者」と呼ばれるような状態になる。

これでも障害者は無用の存在だ、と言えるだろうか。生きていても仕方がない、などと言えるだろうか。それは大げさに言えば、、進化の恩恵を受けて誕生した人類の一員として「恥知らず」の発言ということになる。

まあ、そうはいっても現実は甘くない。本書には重症心身障害児や障害者をめぐる歴史もまとめられているが、多くの人々のどれほどの努力によって、現在の様々な施設ができ、福祉の仕組みができあがってきたことか。戦後間もない貧困と混乱の時期に、そうした運動に立ちあがってきた人々には、まったくもって頭があがらない。

重症心身障害なんて言葉自体を知らなかったという人から、何らかの関わりがある人まで、本書はとにかく多くの人に読んでほしい一冊だ。何より、生きるということの意味を、根源から考えさせられる。そして機会があれば、ぜひ彼らに会ってほしい。衝撃を受け、混乱することもあるかもしれないが、そこから何かを感じ取ってほしいと思う。