自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1787冊目】フランシス・イタニ『遠い音』

遠い音 (新潮クレスト・ブックス)

遠い音 (新潮クレスト・ブックス)

「障害者をめぐる20冊」9冊目。

主人公のグローニアは、5歳の時に聴力を失った。猩紅熱で調子を崩したグローニアをホテルの厨房の簡易ベッドに寝かせたまま仕事を続けた母は、娘の耳が聴こえなくなったのは自分のせいだと責める一方、いつかは聴力が回復すると信じ続け、そのための無益な「訓練」を繰り返した。

実際にグローニアに、文字の読み方や唇の動きから声を読み取るやり方を教えたのは、祖母のマモだった。そしてグローニアを守り、支えてきたのは、姉のトレス。寄宿制の聾学校に入るまで、この二人がグローニアの支えだった。

本書の前半は、聴覚障害をもつグローニアの少女時代を描きながら、彼女にとっての「世界」のありようを描写している。音が聴こえないということが、これほどまでに世界の「感じ方」を変えてしまうのかと思わされる。もちろんそのために不便なことはいろいろあるが、一方で「便利なこと」も多いことに驚く。

たとえば、注意力のスイッチを意識的に入れたり切ったりできること。いつでも望むときに、自分だけの世界に閉じこもれること。スイッチを入れた時だけ、周囲の動きに注意力を総動員する。唇の動きから「声」を読み取り、周囲の「音」を想像する。

これはなるほど、盲点だった。「視覚」と「聴覚」の最大の違いは、視覚は目を閉じることで遮断できるが、音が耳に飛び込んでくることは防げない、ということだ。だから眠っている間さえ、「健常者」は音を遮断することができない。

それができるということは、考えてみればなんという特権だろう。望む時にはいつでも、グローニアは自分の内面に沈潜し、静けさの裡にいることができる。そして、そこから生まれるのが、グローニア独特の「静けさ」という強さなのだ。後に彼女と結婚するジムが、最初に出会った時にグローニアに感じたのは、まさにこの静けさだった。

本書の後半は、ジムという男性と結婚したグローニアの静かな日々と、兵士として戦地に赴いたジムの壮絶な日々が交互に登場する。グローニアの日々が(いろんなことがあるにせよ)相変わらず静かで落ち着いているのに対して、ジムの日々は、第一次世界大戦ど真ん中の戦争の毎日。そのリアルな描写は、前半と同じ人が書いているとは思えないくらいの迫力だ。飛び交う砲弾、ちぎれ飛ぶ人体、死者と重傷者が入り混じる戦場のすさまじさ。そしてそこは、グローニアの静かな世界とは対照的な、侵食してくる「音」に満ちた世界でもある。銃声、爆発音、叫び声……

本書は戦争小説であり、グローニアを軸とした家族小説であり、そしてなんといっても、グローニアという一人の女性の人生を描いた大河小説である。ちなみに言っておくが、障害をもった女性を描いているが、「障害」を描いているわけではない。確かに「耳が聴こえない」というのはグローニアの最大の特質であるが、あくまで著者が焦点をあてているのは、障害ではなく「グローニア」という一人の人間なのである。いかにも「クレストブックス」らしい、人生の「静」と「動」を描き切った一冊だ。