自治体職員の読書ノート

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【1785冊目】小山内美智子『車椅子で夜明けのコーヒー』

車椅子で夜明けのコーヒー―障害者の性

車椅子で夜明けのコーヒー―障害者の性

「障害者をめぐる20冊」7冊目。

「セックスの快感はだれもくれない」「バージンで一生を終える恐怖」「マスターベーションができない」「ソープランドで心は満たされるのか」「知的障害者の結婚と子育て」「オナニーができる」「むなしさしか残らないホストクラブ」「セックスは贅沢なのか」……

列挙したのは、どれも本書の目次の一部だ。ちなみに本書のサブタイトルは「障害者の性」。この本は、自身も障害を抱えた著者が、自らの経験も交えて障害者の「性と生」について語った一冊なのだ。

最近でこそ、障害者のセックスについて語った本が何冊か出ているが、その嚆矢となったのがこの本だ。「障害者がセックスを語る」という構図自体に、びっくりした方も多かったのではないかと思う。だが本書は、決して興味本位の本ではない。むしろセックスを通して、障害をもった人々の切実な思いにこそ驚かされ、今までなぜ「障害者のセックス」について考えてこなかったのか、とさえ思わされる。

そもそも、多くの障害者には、セックスをする場所さえ確保されていない。特に施設では「カーテン一枚のプライバシー」しかない。そんな状況に対して、著者は「私たちは人間なのだ。動物の交尾ではないのである」と憤る。

「壁があって、鍵がかけられ、大声を出してもいい部屋で愛しあいたい。そう思って、障害者の自立運動をやってきたのだ」(p.37)


施設をやっている人なら、今でもこうした考え方に眉をひそめるだろうか。施設だけではない。親元から離れられない人はどうか。自由になるお金は月に数千円程度という人は、恋人を見つけるどころか風俗にも行けない(風俗に行くことのよしあしは別にしても)。恋人を見つけても、愛し合う場所がない。これは本当に切実な問題なのである。

本書は誤解されやすい本である。著者自身がそれを、わかっていて煽っているフシもある。障害者はソープに行け、ホストクラブに行け、という本なのか、と思われるかもしれない。セックスができる障害者なんて、一部のエネルギッシュで能力の高い人だけだ、とやっかまれるかもしれない。amazonのレビューを見れば、そんな誤解がずらずらと並んでいる。

だが、そもそも人生にとってセックスとは何なのか。障害者だからといって、そこから排除されなければならない理由は何なのかと考えれば、それは施設中心、管理中心の障害者福祉の現場にとって不都合であるという、突き詰めればこの一点に帰結する。そうした人生はセックスがないというだけでなく、ほとんどいっさいの欲望や充足から遠ざけられた世界にほかならない。それでいいのか、そんな状況に甘んじて、一生処女や童貞のまま死んでいいのか、というのが、本書の切なる問いかけなのである。

本書の第二章は、実際に著者がある障害者(T・Mさん)と交わした手紙で構成されている。T・Mさんは年金を親に管理され(弟の学資に年金が充てられているという、今なら間違いなく障害者虐待になりかねない事例だ)、自立生活はおろか北海道に行くことさえ親に反対され、どうしたらよいかと著者に相談している。「人間にとって食欲と性欲がなくなったら終わりだと思います」(p.184)というT・Mさんの言葉は、本当に切実だ。

最終的に、著者のアドバイスや叱咤激励のもと、T・Mさんは親元を離れて自立生活を始め、最後には親もそれを理解して応援してくれるようになるのだが、これもまた、一部の「幸運な人」「能力のある人」だけの特別な出来事なのだろうか。セックスのできる環境とは、人間としての最低限の尊厳が守られる環境である。それを望んで何が悪い、という著者やT・Mさんの叫びに、果たしてわれわれはまともに答えることができるだろうか。

ちなみに、障害者の性をめぐっては、本書ではほとんど触れられていないもうひとつの論点がある。それは、特に軽度の知的障害精神障害をもつ人が、性産業の食い物になりやすいということだ。管理売春を強いられたり、薬物中毒にさせられたり、すぐ騙されて性交渉をもって妊娠してしまったりするケースが多く、中には家族によって子宮摘出手術を受けさせられるという事例もある。男性障害者が1か月分の年金をつぎ込んで行こうとするソープランドで働いているのは、ひょっとすると搾取を受けている軽度知的障害者かもしれないのだ。

本書が書かれた頃は、まだこうした問題が顕在化していなかったのかもしれない。身体障害者である著者には、知的障害のある女性のことはあまり視界に入らないのかもしれない。だが、性の自己決定を謳うのであれば、このことはあわせて考えなければならないことだと思う。自己決定と周囲からの介入をめぐるギリギリの問題が、ここには潜んでいるからだ。このテーマについて別の本を取り上げる余裕はないと思われるため、本書の主題とはややずれるが、ここに書かせていただいた次第である。