自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1783冊目】『否定されるいのちからの問い 横田弘対談集』

否定されるいのちからの問い―脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集

否定されるいのちからの問い―脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集

「障害者をめぐる20冊」5冊目。昨日の読書ノートにちらっと登場した「青い芝の会」の会長を務めていた、横田弘氏による対談集だ。

あらためて解説すると「青い芝の会」は、脳性マヒ者の団体であって、日本の障害者運動の草分け的存在だ。横田弘氏は「青い芝の会」を背負い、長きにわたって障害者運動の最前線で活躍してきたが、残念ながら昨年お亡くなりになっている。本書はその横田氏が、5名の方々と行った対談を収めた一冊だ。

それにしても、最初に「青い芝の会」を知った時は、そのテーゼにびっくりした。なにしろ「我らは、愛と正義を否定する」というのだから。障害者団体のみならず、どんな団体であれ、こんなことを堂々と世の中に宣言した人々がこれまであっただろうか。

ちなみにこれはこの団体の綱領の、5項目中3番目に掲げられている。他の4つは「我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する」「我らは、強烈な自己主張を行なう」「我らは、健全者文明を否定する」「我らは、問題解決の路を選ばない」というもの。どれも峻烈きわまりないもので、この団体が「タダモノではない」ことがすぐわかる。

「青い芝の会」の基本的な考え方として、最初の対談者である立岩真也氏は、次のように言う。「愛と正義を否定」することの真意の一つが、この指摘から透けて見える。

「(略)だから、おっしゃったように慈善っていうか、いたわりの心というのは、相手の心に依存するわけですよね。相手の心にいたわりの心があればいいってことになるわけですけれども、なかったらどうにもならないわけですよね。そういうものじゃないだろうという話ですよね…(略)…だから恩恵としての福祉、そういう発想みたいなものを、そうではないと否定することが、例えば「青い芝の会」の綱領に出ていると」(p.16)


2番目の原田正樹氏とは、「地域福祉」について語る。そこで強調されるのは「地域」という概念のうさんくささである。行政が区切った「地域」の中で、すでにコミュニティも人づきあいも解体しているのに、そこを障害者の居場所と規定することの欺瞞性が、ここでは容赦なく暴かれる。横田氏の次のような話が印象に残った。

「(古典落語の世界を例に出して)地域なんていう意識は彼らにはなかったわけですよ…(略)…「あいつはばかだけど、この仕事をやらせたら俺たちより上手いじゃあねぇか」とか「あいつは目が見えないけど面白え話をたくさん知ってるじゃないか」と、それだけで周りの人間が障害者と関わって「面倒くせえけどよぉ、面倒くさいけどあいつがいないと面白くないんだ」「あいつの面倒みるのは、まぁしょうがねぇか」とか。そういう関係が僕たち障害者を今日まで見守ってきたっていうかな、暮らしてきたわけですよ。
ところが今非常にそれが稀薄になってるんです。個対個の関係がものすごく稀薄になってるんですよ」(p.42)


その稀薄さを埋めているのが制度であり、作業所であり、グループホームであるのだから、この「地域福祉」とは一体何なのか。

3番目は米津知子氏。ここでは優生保護法の「改訂」をめぐる議論、出生前診断とそれに基づく中絶に関する考察がめっぽう深い。自身もポリオによる下肢障害があり、ウーマンリブ運動にも取り組んでいた米津氏の、次のような指摘が忘れがたい。

「子どもを障害のあるなしとか、男か女かとか、選んで産む、選んで産まない決定をする、これは権利の中には入らないってことを言わないといけないと思うんです。つまり、単純に子どもをもつかもたないかって決めることはね、リプロダクティブ・ライツ、性と生殖の権利として重要なことで、これは保障してもらわないと困るんだけども、じゃあ子どもを選ぶことはどうなのかっていったら、権利の中に入らないって、私は思うんですよね」(p.97)


このくだりは、「青い芝の会」の原点の一つでもある、障害児を殺した母への減刑嘆願運動に対する反発を思わせる。障害児とは、障害者とは「生まれてこなくてよかった命」なのか、本書のタイトルにもあるような「否定されるいのち」なのだろうか。「優生保護」という発想の根深さ、タチの悪さを痛感させられる。

4番目の対談相手、長谷川律子氏は、長男の養護学校から地域の小学校への転校運動を闘った方である。ここでは横田氏の「なぜ学校にこだわるの?」という執拗な問いが興味深い。ちなみに横田氏自身は不就学である。養護学校の問題点もいろいろ指摘されているが、長谷川氏によれば、そもそも「駄目と言われているからこそこだわる」という面があるらしい。

「それが十歳なら十歳、十五歳なら十五歳っていう、その時々必要な年齢というか。人生長い間のほんの一部でしかない、確かにそうなんだけども、その一部でしかないところを奪われてきてしまう。誰が奪ったものを補充してくれるの、補充してくれない。奪われたものは自分で穴埋めして、どっかで帳尻を合わせるような形をとらなきゃならない」(p.138-9)


ラストは障害者であり、劇団の主催者、芸術監督、役者でもある金満里氏だ。ここではそれまでの「差別と闘争の歴史」から少し離れて、演劇とか身体動作についての洞察が非常におもしろい。横田氏自身も後で書いているが、この対談が一番楽しそうで、ノッている印象がある。中でも次の金氏の言葉には、障害とか健常とかを超えた演劇の奥深さを感じた。

「(略)だからCP(脳性マヒ)の言語障害そのものを言語とみる…(略)…障害じゃなくてCPのその人のしゃべり方そのものを、一つのペースの一つのコミュニケーションのあり方、時間も詰まり方もすべて含めて身体の一つだとみる。で、言語も身体の一つだと主売ってるんですよ、私は。だから、身体表現というものがベースなんですよ、体が先。で、そこで詰まってこう「しゃべろう」ってやってるときの体の動かし方とか前屈みになってやるとか、顔のゆがめ方も皆、コミュニケーションなんです」(p.186)


これはもうなんというか、意外な方向からの突破口というか、こういう切り口があったのか、と驚かされるというか。これは、演劇という特殊な場面だけの話ではない。むしろ生活全般のあらゆる場面で活きてくる切り口だ。

このことに関連するのかどうかわからないが、第6章「残照」で横田氏自身の半生が語られる中で、氏の幼少期には「障害者・児」という言葉はなかった、というくだりが、やはり忘れがたく心に残った。

「「お隣の横田さんの弘ちゃんは歩けない」とか「お向かいの○○さんの子は眼がみえない」とか、身体の状況を個人に属したものとして意識し、言葉としていました。その発想が必ずしもベストだったとは私も考えていません。けれど現在私たちに向かって日常語のように使われる「障害者」「障害児」の言葉がもっている余りにも硬質的な、そして個人の全存在よりも肉体、あるいは精神の状態だけを取り出して一定の枠に閉じ込め浮かび上がらせる効果よりは、よほど人間らしいと思います」(p.195)


もちろんこれは、「障害者・児」という言葉自体がまったくなかった、という意味ではない。だが、少なくとも日常の、それこそ「地域」のレベルでは、そういう括りで人は人を見ていなかった、ということなのである。そこにいるのはあくまで「歩けないAさん」「目の見えないBさん」という、個人に結びついたひとつの属性であり、特徴であったのだ。

「問題解決の路を選ば」ず、「強烈な自己主張を行う」青い芝の会のような団体は、いまではだいぶ少なくなっているという。特に、妥協につながる問題解決ではなく、ひたすら「問題提起」を行うというスタンスは、課題解決型、課題提案型のNPO等の団体が増えてきている昨今、いささか時代遅れになっている感もある。

だが一方で、「青い芝の会」ほどエッジの立った鋭い問題提起を絶えず行い、議論をかき立てる団体が今どれくらいあるかと言えば、これはかなり心もとない状態である。殊に障害者に関する議論では、事の本質を考え抜き、ラディカルな指摘や批判を行う存在も、時に必要だ。

なぜなら、思ってもみなかった角度から既成の考えが揺さぶられる。そんな体験を繰り返すことでしか、他者への想像力というものは育たないからである。ヘンに「ものわかりのいい」団体ばっかりじゃ、世の中あんまり良くならないのだ。