自治体職員の読書ノート

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【1771冊目】加藤徹『漢文力』

漢文力 (中公文庫)

漢文力 (中公文庫)

漢文力と言っても、漢文を読む力ではない。著者も本書の冒頭で「本書で言う「漢文力」は、学校の漢文の試験で高得点をとる学力のことではありません」と書いている。

むしろ重要なのは、そのコンテンツである「古代中国の知」。著者によれば、数千年も昔の段階で、古代中国の哲人たちの思想は、現代にも通用するレベルまで到達していた。なのにそのことを忘れて、われわれは環境問題や生と死の問題、戦争のやり方から人生のあり方まで、まるで人類ではじめて直面したかのように悩んでいる。著者に言わせれば、こんなにもったいないことはない。すでに知恵を絞り、考えを絞った挙げ句の「答え」が出ているのだから。

特に興味深いのは、古代中国の論理的思考だ。もちろん、漢詩のような豊かな叙情的世界もあるが、一方で論理を突き詰めるのにも、漢文は有効だった。そもそも日本人の論理性、論理力は、漢文教育によって成り立っていた面が大きい。

著者は、かつての日本語には二つのチャンネルがあったという。和文脈は叙情的、漢文脈はそれに比べると論弁的(近代になって加わった三つ目のチャンネルである「欧文脈」は分析的、だそうだ)。日本人は微妙な情緒を言い表したいときはやまとことばを、論理を詰めて考えたいときには漢文を使って考えた。そのことを著者は、文語調で書かれた石橋湛山のみごとな論説を例に指摘する。

となると、現代の日本人の論理的思考力の低下は、漢文脈の喪失によるところが大きいのかもしれない……ということで漢文を、というのはいささか単純な気もするが、しかし著者自身、「思考を鍛える道具としての漢文」を読むことで論理的思考を鍛える一冊として本書を位置付けているようなので、あながち的外れな話でもない。

もっとも内容をみると、論理一辺倒の本、というワケでもない。叙情豊かな漢詩の世界、死者観や処世訓のようなものにも触れられており、中国人の世界観、人生観をうかがうにも有益だ。一方、古代中国の思想家だけでなく、古今東西のさまざまな思想家や作家、詩人らの言葉を縦横に引用しつつ話が進むので、古代中国思想のもつ普遍性もまた、知る事ができる。特に頻出は、「マルクス・アウレリウス」と、なぜか「金子みすゞ」。古代中国と何かシンクロするものがあるのだろうか。

扱われているテーマは多彩で、まさに中国思想の多彩さと奥深さが実感できる内容になっているのだが、特に古代中国思想が素晴らしいのは、自らの思想に歯止めをかける要素を内包していること。特に「老子」「荘子」は、知の行き過ぎ、思想の過剰への警戒感が強く、思想というもの全体への強力なブレーキとなっている。

「吾生也有涯 而知也無涯 以有涯随無涯 殆已」(荘子 養生主篇)
《われらの命は有限だが、知は無限である。有限の命で無限の知を追求する。危ないことだ》


荘子にはまた、「古人の糟粕」というエピソードもあり、古人の知を学ぶことの危うさやうさんくささを雄弁に伝えている(本に書かれていることなど、古人の残りかすに過ぎない、本当の知とは言葉では伝えられないものだ、といったようなことが書かれている)。だが考えてみると、こうした「本に書かれていることは古人の残りかすだ」といったことも、また本によって伝えられているのである。恐るべし。

本書はまた、漢文ベースではあるが、名言・箴言のオンパレードである。たいへん幅広いテーマで書かれているので、ひとつやふたつは、読んでいてビビッとくる言葉があることだろう。そうした「自分が反応する」箇所を探して読むのも、また読書なのではないだろうか。ちなみに私が印象に残ったのは、例えば次のようなフレーズだった(白文と邦訳のみ挙げる)。

「非我而当者吾師也 是我而当者吾友也 諂諛我者吾賊也」(「荀子」修身篇)
《自分を非難してくれる人は、自分の先生といえる。自分を支持してくれる人は、自分の味方といえる。自分にお世辞を言って褒めちぎる人は、自分をおとしいれようとたくらむ敵である》


別の意味で、こういうのも。

「然夫楽兵者亡 而利勝者辱」(孫子
《そもそも、戦争を楽しむ者は滅ぶし、戦勝の利益をむさぼる者はいつか屈辱を味わうものだ》
「百戦百勝 非善之善者也 不戦而屈人之兵 善之善者也」(孫子
《百戦百勝は最高ではない。不戦必勝こそが最高である》

孫子の兵法」の孫子のコトバである。