自治体職員の読書ノート

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【1760冊目】川上和人『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (生物ミステリー)

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (生物ミステリー)

「世のなかには2種類の人間がいる。恐竜学者と鳥類学者だ。そして、私は鳥類学者だ。それ以外の人? ……些細なことは気にしないでいただこう」


こんな「人を食った」一文からこの本ははじまる。しかも、本書はほとんど全篇、マジメな説明の間にこの手のフレーズが登場するのだ。かといって、この本は決して「ふざけた」内容ではない。内容は至極「まとも」で「科学的」な、恐竜をめぐる最先端の考察だ。

だいたいタイトルから一目瞭然のように、著者は鳥類学者である。奥付の説明によると、森林総合研究所というところの研究員で、「普段は小笠原諸島にくらす鳥類を中心に研究している」とのこと。では、なぜそんな著者が「無謀にも」恐竜について語ることになったのか。

その前提にあるのは「鳥類は恐竜から進化してきた」という認識だ。もっとも、本書はそのこと自体を解説するものではない(一応、最初のほうで解説はなされているが)。むしろ本書の主眼は、「だったら、恐竜を鳥類の祖先という視点で眺めたらどうなるか?」ということを、さまざまな側面から考える点にある。

こんなことが可能になるのは、恐竜が今は存在していないからだ。生態を観察することはおろか、完全な死体すら手に入らない。出てくるのはバラバラの状態の骨ばかりである。しかし、だからこそそこには、想像力を働かせる余地が生まれる。著者に言わせると、こういうことになる。

「恐竜は、魔性の女である。私たちの心をグッとわしづかみにするのは、じらしてやまない究極のチラリズムだ。地中に隠れて発掘を待つ化石は、峰不二子のように、秘密をチラ見せしながら我々を誘惑してくる。この見えそうで見えないミステリアスさが美女と恐竜の共通点であり、その最大の魅力なのである」(p.226)


なぜ峰不二子がここで出てくるのかはおいといて、こういう不確実性の高さは、通常、科学の世界ではマイナスに働くことが多いと思う。しかし著者は、これを「恐竜学的不確実性」と名付け、「限界を認識しながら、想像を絡めて楽しむのが、恐竜学の聴衆の流儀」であるとしている。ここからは、不確実性をむしろ想像力を広げるためのメリットとして捉えていることがうかがえる。そして、本書の解説は、まさに「想像力」のはばたかせ方を自在に実演しているのだ。

例えば、恐竜の色について(恐竜は案外カラフルだったらしい)。例えば、恐竜の声について(鳥の祖先と考えれば、鳥のように鳴いたという推測も成り立つ)。例えば、恐竜の「渡り」について(渡り鳥がいるのだから、「渡り恐竜」がいてもおかしくない)。さらには毒をもつ恐竜の可能性、恐竜の巣作り、恐竜の子育て……。

化石だけでは絶対に分からないことだらけだが、ここに「鳥の生態」を補助線として持ち込むと、びっくりするくらい考察が深まり、推理の幅が広がるのだ。中には多少「無謀」なものもあるが、本書を読んでいると、不確実性がもたらす想像力の豊かさというものに心底驚かされる。

実験や観察で証拠固めをするだけが科学ではない。緻密な計算と理論で一部の隙なくロジックを固めるだけが科学ではない。こんな遊びゴコロあふれた「科学」だってアリなのだ。だいたい、鳥が恐竜の子孫というなら、広い意味では鳥だって「恐竜」なのだ、と強弁できるではないか。庭先でチュンチュン鳴いているスズメも、ゴミ袋を狙っているカラスも、ケンタッキー・フライドチキンで出てくるチキンも、実は「恐竜」なのである。そう考えるだけで、なんだかワクワクしてこないだろうか?