自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1757冊目】吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』

「おいしい10冊」9冊目。

特に大きな事件が起きるわけではない。それどころか、読者に「圧」をかけるような、ストレス状況もトラブルもほとんど起きない。そんなふわふわした「なまぬるい」小説なのに、するすると最後まで読めてしまう。ハリウッドの娯楽大作ではなく、フランスあたりの洒落たショート・ムービーのような一冊だ。

誰も見ないような映画を何度も観に映画館に通う主人公「オーリィ」と、サンドイッチ店「トロワ」の主人とその息子が軸になり、オーリィの大家のマダム、映画館で出会った緑色の帽子のおばあちゃんなどがそこに絡む。絡むといっても色恋沙汰のような生々しい話は全然出ないのだが、それでいて物語は妙に生活実感に満ちたリアリティがある。その理由はおそらく、最も生活に身近な「食べ物、飲み物」が、常にかれらの中心にあるからだ。

出てくる料理の描写が、どれもこれも絶品だ。とはいえ、凝った料理など全然出てこない。サンドイッチにラーメン、そしてスープなど、日常に溶け込んだ料理だからこそ、その味がリアルな質感で迫ってくる。

例えば、「トロワ」で主人公が初めて食べるサンドイッチ。映画館に持ち込んで食べ始めたそのじゃがいものサラダのサンドイッチは「じゃがいものサラダより数段まろやかな甘み」があって、「目はいちおうスクリーンを見ていたが、意識の方はすべて舌にもっていかれ、そのまろやかさが何に似ているか、懸命に記憶を探って言い当てようと」したくなる。結局、マダムにあげようと思っていた分まで全部食べてしまい「映画に夢中になるあまり、何を食べたのか覚えていないことは何度かあったが、サンドイッチに夢中になってスクリーンが霞むなんて信じられない」なのだ。

さらにラーメンは「湯気の中にどこか懐かしい「夜の香り」が漂って、外はまだ夕暮れどきなのに深夜の線路ぎわで風に吹かれながら食べている感じ」。試作としてつくったスープストックは「底の方はおそろしく混沌として、それなのに、すくい取ったひと匙はほのかな黄金色で、味などまるでないような透明さをたたえて」いるのに「それが舌の上を通過したとたん思いがけない香りを鼻の奥に送ってくる」

なかでも格段に旨そうなのは、映画館で出会ったおばあちゃんの「名前のないスープ」だろう。なんといってもそれはスプーンから伝わってくる手応えが違っていた。口の中に入れる前に、そのざらりとした感触と、それに続く滑らかさが手に伝わってきて、手がおいしさを知り、その次に舌や喉が声を」あげるのだ。「喉を通過したときにはもう感嘆の声が出て、そして胃におさまるころには、花がひらくみたいに言葉が湧き起こってくる」ようなスープなのである。う〜ん、一度でいいから飲んでみたい。

日々の手ざわりが小説になる。食べること、生活を営むことが物語になる。本書はそんな、小説に出てくるスープそのもののような、たいへん「まっとう」で、しかもおいしい一冊なのだ。