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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1752冊目】岡本かの子『食魔』

食魔 岡本かの子食文学傑作選 (講談社文芸文庫)

食魔 岡本かの子食文学傑作選 (講談社文芸文庫)

「おいしい10冊」4冊目。

「食」にまつわる岡本かの子の小説・随筆を集めた一冊だが、「食文学傑作選」というサブタイトルがスゴい。「食文学」って……

ちなみに本書収録短篇のうち「家霊」「鮨」「食魔」は、以前読んだ『老妓抄』とカブっているが、読みなおしてもやっぱりこの3つは傑作だ。特に今回強烈に感じたのは「鮨」のマザコン的エロティシズム。母が自分のために握った鮨をぱくつくというシーンに漂う、清潔なエロスに酔った。

それにしても、あらためて「食」に対するこの作家の執念というか、ねっとりした感性は尋常じゃない。料理ひとつとっても、単に外にあるモノとしての描写に終わらず、それが食べる主体である自分とつながり、溶けあっていくところまでが捉えられているのだ。凡百のグルメ本と本書が違うのはココだ。食べ物が「鑑賞物」になってしまってはつまらない。なんといってもそれは、自分の血となり、肉となるモノなのだ。

「奈々子は決心して、唇の上下を内へちょっと捲らし込み、舌尖で湿りを与え、それから箸先のものを内気に口の中へ運び込んだ。噛み合せているうち、淡白で而かも厚味のある甘みの粘りが溶けると、中から舌にも歯にも自由自在に弄られて女の虫が好く微妙な抵抗性と無抵抗性のもつれる感触が口中に截片として感じられた」(p.139)


これは「女体開顕(抄)」という作品の中の、奈々子が得体の知れない「ねっとりと堆い乳灰色の塊」を食べた時の描写。実はこれ、蒟蒻の白和えであると後から教えてもらうのだが、このなんだか分からない物を味わう瞬間の、なんというエロティックなことか。「舌尖」「弄られて」なんて、ほとんど官能小説の世界である。

そして本書の後半は、食をめぐる随筆が並んでいる。ここでは西欧料理の感想や食をめぐる著者自身の考え方、感じ方がとりとめなく披歴されているのだが、遠慮会釈のない「食を通した文明批評」が面白い。

例えば料理を通してみれば、イギリス人の感覚は「平坦で深みのない」もので、フランス人は「繊細で鋭敏」、ドイツ人は「比較的粗野」だという。そのことを「欧洲土産話」という随筆の中で、具体例(すべて料理)を挙げて延々論じているのである。

フランス料理の絶賛は分かるにせよ、特にひどいのはドイツ人の扱い。まあソーセージはともかくとして「独逸人はジャガイモでお腹をこさえるらしくお昼も晩も二度ともジャガイモを沢山食べます」、ザワークラフトは「非常に酢ぱくておいしいとは思えません」、魚料理に至っては「元々脂っこい魚をバタで一層脂っこくしたのですからそのしつこさはお話になりません」とくる。

挙げ句の果てに「独逸の料理は紀元四世紀頃に諸方を移動していた野蛮時代から大した発達を見ないのではないかと思われます」とまで断言しているのだから、まあドイツ人が読んだら怒るだろうなあ。さらに著者はベルリンとパリの風景にまでこれを延長し、「伯林(ベルリン)の町を見ても街路樹の配置、建物の配列、交通の整理等すべてが理路整然としていますが、これを巴里に比較して見ますと形式の美はあっても感覚に訴える美が欠けています」と言うのである。

このあたりは悪口の中に、かえってこの作家独自の感性が抜き身で光っている。だが、ベルリンでさえこの酷評なら、醜悪な風景をさらしている現代の東京を見たら、著者はどんな評を下すであろうか。

老妓抄 (新潮文庫)