自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1746冊目】松浦弥太郎『ぼくのいい本こういう本』

「人生において、百人の友だちと広く浅く付き合うより、十人の友だちと深く付き合うほうがいい。それは本に対しても同じで、百冊の本を読むよりも、一冊の本を百回読んだほうがいい」(p.3)


本書の冒頭近くで、著者はこう書いている。実際、著者による本の紹介は、よく知った友だちを知人に紹介する時のように、親しみと慈しみにあふれ、それでいて懇切丁寧だ。「百回読んだ本」でないと、こういう書き方はできないのだろう。

それに比べると、私なんぞは出会ったばかりの知り合いをそのまま別の知り合いに紹介しているようなもので、まったくもって軽薄極まりない。著者にとっての本が親友なら、私にとっての本はフェイスブックの「友達」レベルか。

ただ少しだけ言い訳をすると、私にだって「百回(以上)」読み返している本や、これから読み返すであろう本というのは結構あるのだ。ちなみにそういう本は、まとまった時間に一気に読むというよりも、細切れの時間に少しずつ、かじるように味わうことが多い(著者もどうやらそういう読み方をされているようだ)。

いきおい、多くなるのはエッセイや詩集、小説なら短編集のようなものだ。マンガだと長編もここに入ってくるのは考えてみると不思議だが、マンガはたいてい週刊誌連載が元になっているので、ストーリーは続いていても細切れ読みがやりやすいからかもしれない。なお、本書のような「本を紹介する本」にも、繰り返し読み返す本は多い。本書もそんな連中の仲間入りをしそうな予感がする。

まあ、私のことはこのへんにしてこの本に戻るが、本のタイトルを見ただけでも、これが著者の読書全体の氷山の一角であろうことがうかがえる。とにかく幅が広い上に硬軟自在、さらには有名な本から、かなりその著者のことを知らないと手に取らないであろうマイナー本まで混ざっている。目次をざっと眺めただけでも、その「水面下の氷の塊」の大きさがうかがえる。

しかもそこには著者の「好み」が活きており、さらには著者自身の生活や人生が、本から地続きでつながっている。本が本だけで孤立していないのだ。生きながら読み、読みながら生きるのが私にとっての読書の理想だが、著者はすでにその境地に達しておられるようである。うらやましい。

それにしてもこの手の本を読んで困ってしまうのは、読みたくなる本が増えすぎてしまうことだ。ただでさえ「待機リスト」に山ほどの本が待っているというのに……。特に本書は、出てくる本がことごとく魅力的で、しかも「微妙に知らない」ものばかり。何より著者自身がその本に惚れこんでいることがストレートに伝わってくるので、こちらも放っておけなくなる。なんといっても著者はあの「暮しの手帖」編集長なのだ。その選択眼と価値観は一筋縄ではないのである。

著者自身による印象的なことばも多い。とてもそのいちいちを挙げてはいられないので、ここでは一つだけ引用したい。「見えないものってなに?」というタイトルの文章の一部である。

「世の中は、どうして目に見えないものに近寄ろうとしないのだろうか。触れようとしないのであろうか。目に見えないもののひとつに人の心がある。その心にこそ水の様に静かな真実があり、この世界を支えているちからの源がある」(p.190-1)

「見えないもの」を感得するために、本を読む。本書はそんな境地への絶妙のガイドブックである。