自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1745冊目】松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』

町村合併から生まれた日本近代 明治の経験 (講談社選書メチエ)

町村合併から生まれた日本近代 明治の経験 (講談社選書メチエ)

日本の大きな市町村合併は3回行われている。明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併だ。

本書はこの中で「明治の大合併」に焦点を当てている……ように見えるが、実はさにあらず。よく読むと、むしろ議論のフォーカスは「合併以前」。著者は、合併前に地殻変動のように起きていた変化を掘り起こし、「江戸」から「明治」への、つまりは「近世」から「近代」への移行をそこに読み込んでいるのである。そして、この前段としての変化があったからこそ、その後の「昭和の大合併」「平成の大合併」も成り立ったといえる。

何のことやらわかりにくいと思うので結論を先取りしてしまうと、著者は、江戸から明治にかけて「村」というものの内実が変わったと指摘しているのだ。江戸時代の「村」と、明治以降の「村」では、同じ「村」に見えても、その性質に決定的な違いがあったというのである。

どういうことか。明治に始まり現代に至るまで、「市町村」は、その外側に「都道府県」を、さらにその外側に「国家」をもっている。つまり国家と地方は「同心円的な構造」になっている。

となると、江戸時代も同じように、「幕府」があり「藩」があって「村」があったように思われがちだが、実はそうではなかった、と著者は言う。まず前提として理解すべきは、江戸時代の村は、むしろ百姓という身分・職能(当時は職能と身分が一体だった)の人びとが集まって形成した、身分的・職能的ユニットだったということだ。

「これまで論じてきたことをまとめれば、近世の村とは、職能的性格と公的性格を帯びた百姓の共同体なのであって、近代の市町村のような、一定の領域があり、その領域内に居住する人間すべてを平等な構成員として扱う地域団体ではない、ということである。そして近世社会の全体は、そうした小さな身分共同体の集積として成り立っている」(p.36)


そして、上の引用で「公的性格」とあるとおり、村は年貢納入の単位でもあった(これを「村請」という)。年貢は村ごとに共同納入され、言い換えれば村人たちは、年貢の納入を通じて共同し合わなければならない、文字通りの「共同体」だったのだ。

さらに面白いのは、こうした「村」と「領主(藩)」の関係が、必ずしも現代の市町村と都道府県のようなものではなかったということだ。一つの村が複数の領主に分割領有されていたり、ある村ととなりの村が、まだら状に別の領主の支配下にあることもあった。

そうした状況下では、「ある村の百姓にとって、その村の百姓であるというアイデンティティが、その村を支配する「藩」のアイデンティティに直結するわけではない」(p.39)ということになる。こうした村のありようを、著者は現代の同心円状と比較して「モザイク状」と表現する。

さて、そこで明治維新である。明治政府の地方政策は府藩県三治制、大区小区制、三新法体制、市制町村制と、とにかくめまぐるしく変わった。地方自治の歴史について学んでいても一番頭に入りにくい部分であろう。だが、こうした制度だけでは人々の意識は変わらない。もっと大きな変化を伴う「改正」が、実は1873年(明治6年)に起きていたのだ。

それが「地租改正」であった。地租改正では従来の「年貢」に代わり、地価の3パーセントをそれぞれの土地の所有者が金納することとされた。そして、ここで起きたのが、先ほど書いた「村請」の解体であったのだ。

それまでの村は、上に書いたように、年貢を納める単位としての「地縁的・職業的身分共同体」であった。いわば村の存在理由の根底を支えていたのが「村請」だったのである。納税が個人単位になれば、村は不作に陥った家を助ける必要も、共同管理していた水路を維持する必要もなくなる。相互扶助の必要がなくなるのである。

これはまさに、従来の村の「意味」の解体であった。この地租改正が、結果的に村を「無内容で均質な空間」に変え、後の合併のためのスターターになった。著者はこのように書いている。

「こうして、村は、明確な境界で囲い込まれたひとつの単位、同心円状の世界を形作る同心円のひとつになる。それは、その単位が、諸個人にとって切実な意味を持つからではなく、そうした意味を失うことによって、可能になる。明確な境界線は、それに意味があるからではなく、それに意味がないからこそ、引けるのだ。これが、同心円状の世界が生まれる基底にある原理である」(p.82)

現代において「共同体の解体」「コミュニティの崩壊」と言われている現象の、大きな遠因がここにある。もちろん、制度が変わったからと言ってすべてがいきなりがらりと変わるわけではないが、地域のつながりの「根」であった村請制度が崩壊した時点で、共同体がバラバラになるのは時間の問題だったのかもしれない。

本書はこうした変化に着目した上で、明治の大合併に至るまでの明治地方制度史を解説している。この部分にこれだけページを割いた類書があまりないということもあろうが、説明の軸がしっかりしていることもあり、この部分の説明はたいへん分かりやすい。猫の目のようにくるくる変わった制度を、その変更理由から具体的な議論の内容、起こった紛争の事例などをふんだんに盛り込んで解説してくれているのは、非常にありがたいものがある。

だが、本書の骨子は以上の部分に尽きる。明治の大合併に至る、いや、現代の地方自治体にまで至るすべての芽は、この「モザイク状」から「同心円状」への変化にあったのだ。この指摘は重要である。なぜなら、現在の市町村が「無意味」「無内容」な地理的区画にすぎないとすれば、そこで行われる地方自治とは何なのか、という問いが、必然的に生まれてくるからだ。

一方で、国家とは何なのか、という問いも、これによって浮かび上がってくる。実は著者によれば、本書のもともとの野心は、無境界的な「市場」と境界をもつ「国家」の関係を、町村合併という「ミニチュア」をおくことによって考えてみよう、というものなのだ。

その試みがうまくいっているかどうかは、ここでは措く(いささか空回りしている感がなくもない)。ただ私自身は、国家は明治の市町村ほどには、まだまだ無意味化されていないし、その国境線にはそれなりの歴史と文脈が息づいているように思う。むしろ気になったのは、アフリカのような、西欧によって人工的に国境線が引かれた国家や、今問題になっているウクライナであった。

「すでに見てきたように、国民国家とは、あるいはその下部のさまざまな単位は、人びとの暮らしが市場という無境界的なむすびつきにゆだねられているということを前提にしたうえで、その上に便宜的に線を引き、それぞれの持ち場として便宜的に管理するシステムなのである」(p.206)


著者は本書の「むすび」でこのように書いている。だが、果たして国家は明治以降の市町村のような「同心円状の世界」に帰属するものなのだろうか? そこには「民族」という、別の文脈からくる「意味の境界」が、まだまだ生きているのではなかろうか。アフリカの痛ましい民族紛争や、世界中で起きている国境や国家支配をめぐる争いの事例などを見るにつけ、私にはどうもそのように思えてならない。