【1744冊目】松家仁之『沈むフランシス』
- 作者: 松家仁之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/09/30
- メディア: 単行本
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北海道小説10冊目。一応これでラストの一冊。
本書は、こないだ読んだ『火山のふもとで』に続く、著者の第二長編だ。包まれるような心地よい読書体験が、さらにグレードアップしている。
舞台は北海道の安地内村。東京の会社を辞めてここで非正規雇用の郵便配達員をしている35歳の桂子は、配達先の寺富野和彦に声をかけられ、そこから付き合うようになる。若い設計士見習いが主人公だった『火山のふもとで』が華やぎのある青春小説だったのに比べると、こちらは分別のある(でも、だからこそいろいろと生きにくい)大人たちの、しっとりと落ち着いた物語になっている。
とはいえ、特にこの小説では、筋書きだけを追って読むほど貧しい読み方はない。北海道の美しい風景から前作に続き料理の描写、そして今回は桂子と和彦のセックスのディテールまで、とにかく描写の丁寧さ、丹念さが素晴らしい。空間だけではなく、そこには時間までもが織り込まれている。
「この土地がもともと誰のものか、そうした考えを寄せつけないほど森は鬱蒼とし、重く森閑とした空気が漂っていた。落ち葉や苔でふかふかする地面をあてどなく歩いてゆけば、森の向こうに光と音の気配が漏れてくる。足の向かう方向が定まると、歩調もおのずとせわしなく、早まってゆく。近づく水音、木々の向こうに見え隠れする明るい岸辺。湧別川だ。ゆっくりとジッパーをおろしたように、青黒い森が川の上だけ、空に向かって細く長く口をあけている。」(p.21)
「ジッパーをおろしたように」という比喩もいいが、それよりもその前の「ゆっくりと」が格別だ。その前の「歩調もおのずとせわしなく、早まってゆく」の、人間のせわしなさがからかわれているみたいではないか。そういえばこの地域は、二万年くらい前の石器がたくさん出土する土地としても描かれている。太古より続く深い森、原始時代の人々の生活、そして現代の安地内村。そのなかをずっとうつろってきた、季節の変化。著者の文章はそのすべてを、魔法のようにとらえてみせている。
読んでいるうちに北海道に行って、大自然に包まれて車を走らせたくなる一冊だ。すばらしい読書体験を、保証する。