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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1740冊目】三島由紀夫『夏子の冒険』

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

北海道小説6冊目は、かの三島由紀夫の書いた、コミカルでウィットに富んだ冒険活劇。「あの」三島由紀夫に、こんな楽しいエンタメ小説があったとは。

なんといっても夏子の造形がケッサクだ。南方系の目鼻立ちくっきり系美人で、情熱的で奔放だが、言い寄ってくる男には冷淡だ。というより、夏子のめがねに叶う男がいないのである。夏子の秘めた情熱に匹敵する情熱の持ち主がいない。「都会の青年はすっかり目の輝きを失っていた」のだ。そんな男どもについていっても、行く先はどれも袋小路。

だから夏子は「修道院に行こう」と思い立った。思い立ったら即行動するのが夏子である。それも夏子の脳裏にあったのは、函館にある憧れの天使園修道院。函館に行こうと即断したら、そのまま東京から函館まで一直線だ。しかし20歳そこそこの女性を一人で函館には行かせられない。祖母と伯母、母の三人が付き添った。

ところが函館に着く前に、青森を出た連絡船の中で、夏子は一人の男に出会うのだ。夏子を惹きつけたのはその瞳。「深い混沌の奥から射し出て来るような、何か途方もない大きなものを持て余しているような、とにかく異様に美しい」瞳に惚れ込んだ夏子は、たちまちその男にぞっこんになる。修道院に行くという目的は現地に着く前に雲散霧消、夏子は男とあっという間に近づきになり、男の目的である熊退治のお伴をすると言い張り出す……

のっけからこんな感じで、夏子の周囲は誰もかれも、夏子の思い立ったら猪突猛進、しかしすぐに気が変わるというやっかいな性格に振り回される。しかしそれでも夏子を憎めないのは、夏子が徹底して自分の気持ちに正直であることがわかるからだ。むしろ社会の常識とか世間への配慮で思考や行動を縛られている周囲のほうが、よほど窮屈でつまらなく見える。

もっとも、夏子だけでは物語が単線的になりすぎる。そこを支えているのが、夏子についてきた祖母、伯母、母の3ババトリオだ。夏子の奔放な行動で北海道を動き回らされる3人の、なんとユーモラスでコミカルなことか。ようやく夏子に追いついた祖母が、夏子のために編んだ左右で大きさの違う靴下を取り出すシーンなど、おもわず噴き出してしまった。

小説は夏子のラブロマンスと、夏子の追う男、井田毅の追う「四本指の熊」をめぐる冒険活劇がみごとに組み合わさり、ドキドキワクワクのうちに最後まで一気に読みとおせる。特に物語の最後の最後、夏子が下す結論は、胸がすくほど鮮やかだ。こんなエンタメだからこそかえって光る、三島の小説技法が冴え渡っている。

そして、なんといっても文章が絶品だ。三島といっても過剰装飾のごてごてした文章とはまったく違う、スピード感とリズム感が波打つ名文である。だいたい、最初の3行がすでに見事。こんな感じである。

「或る朝、夏子が朝食の食卓で、
「あたくし修道院へ入る」
 といい出した時には一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静寂のなかを香煙のように歩みのぼった」(p.7)


まったくもって、一分の隙もない。このわずか4行で、夏子の破天荒な性格も、一家が唖然とそれを見つめるコミカルなシーンも、鮮やかに頭の中に浮かんでくるではないか。

これ以外も、とにかく最初から最後まで、どの描写も会話も「生きて」いる。ひとつひとつの言葉に血が通い、採れたての魚のようにピチピチ跳ねている。同じエンタメ小説でもさすがは三島由紀夫、そのへんの流行作家とは、こういうところがぜんぜん違うのである。