自治体職員の読書ノート

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【1733冊目】ダフネ・デュ・モーリア『レベッカ』

レベッカ (上巻) (新潮文庫)

レベッカ (上巻) (新潮文庫)

レベッカ (下巻) (新潮文庫)

レベッカ (下巻) (新潮文庫)

いや〜、これはおもしろかった。サスペンスのお手本のような作品だ。

サスペンスの要諦は、肝心なモノをいかに「見せずに」話を引っ張れるか、にある。その点、本書ではなんといっても、タイトルにもなっている「レベッカ」が、(会話の中以外では)最初から最後まで出てこない。出てこないのも当然で、レベッカはすでに死んでいるのだ。

主人公の「わたし」は、レベッカの後妻としてイギリスの片田舎マンダレイにやってくるのだが、最初から、見えない先妻の影におびえて生活することになる。召使たちはことあるごとに「前のデ・ウィンター夫人の時は……」と言い、特に骸骨のように不気味なデンヴァース夫人は、あからさまにレベッカへの憧憬を口にする。

「わたし」はそのありさまにすっかり委縮してしまう。そうでなくとも、この主人公は臆病で、心配性で、それでいておっちょこちょいで、しかもしょっちゅう空想の世界に入り込んでしまうのだ。この主人公の人物造形がとにかく見事。ちょっとしたきっかけからふわふわと空想の世界に遊びにいってしまうところとか、召使いたちに「前の奥様のように」指示を出せずに悩んでしまう小心ぶりは、ああ、そういう人っているいる、とすぐ誰かしらが思い当たるほどなのだ。

そんな「わたし」(考えてみれば、この主人公は名前さえ与えられていない)の存在感の薄さに対して、レベッカはそこにいないにもかかわらず、圧倒的な存在感を放っている。館のあちこちにレベッカの痕跡があり、館を訪れるすべての人がレベッカを褒め称え、「わたし」はそれを聞くたびに、いまだに真の「デ・ウィンター夫人」はレベッカなのだと思い知らされる。

そんな「不在のレベッカ」の姿が少しずつ明かされていくのが前半とすれば、後半は急転直下、ネタバレになるので詳しくは書けないが、これまでの物語のすべてが逆転し、白は黒、ポジはネガになり、前半で周到に張り巡らされていた伏線が、思いもよらない形で回収される。巻置くあたわざるとはまさにこのこと、読者は「わたし」と共に、前半のじりじりした不安と委縮から、いきなりサスペンスの極致の中に投げ込まれるのだ。

大きな声では言えないが、実は本書はブックオフの100円コーナーでゲットした。今は刊行されていない大久保康雄訳で、決して今風ではないが、そのぶんゴシック・ロマンの典雅と重厚、不気味さが香り立つような名訳である(ちなみに今出ている新訳も覗いたが、正直オススメしない)。それにしても、こんな極上のサスペンスが上下巻あわせて200円やそこらで読めるとなると、何千円も払ってデキの良くない新刊を買うなんて、まったくアホらしくなりそうだ。困ったものである。