自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1716冊目】石井桃子『子どもの図書館』

子どもの図書館 (岩波新書 青版 559)

子どもの図書館 (岩波新書 青版 559)

図書館本9冊目。

昭和33年3月、石井桃子は「かつら文庫」をオープンした。

「文庫」といっても「岩波文庫」とか「新潮文庫」の文庫じゃなくて、書物を収蔵し、公開する「書庫」「図書館」のこと。つまりは本を置いてある場所なのだが、石井桃子はなんと、自分自身の、荻窪の自宅を解放して、350冊の本を置いたのだ。しかも、それは子ども用の「とっておき」の図書室だった。

「年齢をとわず、本のおいてあるところに、子どもたちが自由な気もちでやってきて、本を読んだり、借りだしていったりするところを見たいなら、自分でそういう場所をつくるよりほかはない」(p.7)


だいたい開館後1年経った頃のきまりは、こんな感じだった。「開館日」は土曜と日曜。来た子どもはノートに名前を書く。会員制で、2度目から本が借りられる。貸出冊数は3冊、2週間以内。ただし新刊書は1冊のみ。

こうしたきまり自体は普通だが、面白いのは著者が、この「かつら文庫」を、ただひたすら本を読むだけの空間にしたことだ。最初は映画会などもやっていたらしいが、途中からイベントは読み聞かせのお話し会のみ。おしつけがましい「読書のススメ」もなければ、本の感想を書かせたり、お勉強的な試みは一切なし。本も子どもたち自身が書棚から取って選ぶ。

「子どもたちについて学びながら、私たちは、子どもを本の方へさそっていこうとしたのですが、それでも「本はいいものですよ。ためになりますよ。」といったことは、いままで一どもありません」(p.61)


そんなふうにやってみて、さて、どうだったか。本書の第2章は、10人の子どもたちをモデルケースに、彼らがかつら文庫にいた数年間にどんな本を読み、どんなふうに変っていったかを克明に書いた記録になっている。なんと10人が7年間にわたり借りた本が(著者のコメントつきで)ひたすら列挙されている。

面白いのは、読む本の変化から、その子自身の変化や成長が読み取れることだ。例えば、絵本ばかりだったのが急におとなびた本を読むようになった子。最初は親に何が書いてあったのか聞かれたくなくて図鑑ばかり借りていた(図鑑なら「字が難しくて読めない」と言い訳して絵だけ見ていられるから)のが、徐々に物語のある本に移っていった。いろんな本をとっかえひっかえ読む子もいれば、同じシリーズを決めたら最初から最後までぶっつづけで読み通す子もいる。その様子をあたたかく見守る著者の視線も、好ましい。

「こういういろいろな子どもたちが、名まえを書きいれておいてゆく貸し出しカードを、私たちは、よく子どもがいなくなった部屋でながめますが、それは、時には、一まいのカードではなくなり、つきない興味を私たちに示してくれます。それは、いわば、いろいろな子どもたちの心のカルテでもあるのです」(p.64)


そして、この「かつら文庫」は、石井桃子自身の、ひいては日本の児童文学を切り拓いた場所にもなったのだ。いわばそこは、子どもたち自身が選ぶ「良書」の選別場だった。ここでどんな本を読み聞かせると子どもたちが目を輝かせて集まってくるか、どんな本がたくさん借りられるか、どんな本はいつになっても人気なくきれいなまま棚に収まっているか、そうしたところに著者らは着目した。

そこで見られる子どもたちの「選書眼」は、まことに容赦なく、辛辣で、的確だ。では、どんな本が読まれるのか。ポイントは「だれがどう思ったかということでなく、だれが、どうしたかでなければなりません。つまり、語られることは形になり、それが動いていなければなりません」(p.145)というコトバ。抽象的な心理描写は、子どもの本にはお呼びじゃないのである。

この点で著者が絶賛するのが、ヘレン・バンナーマンの『ちびくろ・さんぼ』だ。実はこの絵本、刊行されて10年ほどの間、大人の間ではまるで見向きもされなかったらしい。ところが、10年経っても子どもたちがこの本を読み続けるので、それに気づいた大人たちから、ようやく傑作であると「認定」されたのだ。

本書はなんと『ちびくろ・さんぼ』の全文を掲載した上で、そのどこがどう優れているのかを徹底分析していて、これがもう圧倒的にすばらしい。児童書に携わるすべての人が読むべきだろう。内容は、たとえば、こんな感じだ。

「「その子は、しあわせだった」では、こまるのです。やはり、その子(略)は、どういうところに住んでいたか、だれと暮らしていたか、何をもっていたか、どういう友だちがあったか、そういう事や物で、その「しあわせ」の程度、実体をあらわさなければなりません。しかもその事や物は、その年代の子どもが、一ばん重要と思う事や物でなければなりません。ちょっと考えただけでも、これはたいへんな仕事だということがわかります。しかし、子どものための話を書く以上、私たちは、これをなしとげなければならないのです」(p.163)


そして、これをみずから成し遂げたのが、石井桃子その人だった。それがかの名作『ノンちゃん雲に乗る』であり、『ちいさいおうち』『くまのプーさん』などの数々の名作の翻訳紹介なのだ。「かつら文庫」と、その母体となった家庭文庫研究会こそが、そのすべての出発点となった。

今日もうちの子ども用の本棚に並んでいる岩波少年文庫トム・ソーヤーの冒険』を見たら、訳者は石井桃子だった。『ドリトル先生』シリーズを井伏鱒二に訳させたのも石井桃子だ。欧米を回って児童図書館を研究し、子どものための図書館を公共によって建てるよう働きかけたのも石井桃子である。すべての児童文学関係者と図書館関係者は、石井桃子のお墓に足を向けては寝られない。

ついでに言えば、本書はぜひ復刊してほしい。児童文学作家、児童文学関係者、必読の名著である。本書を、それこそ図書館でしか読めないのは、ちょっともったいない。

ちびくろ・さんぼ ノンちゃん雲に乗る (福音館創作童話シリーズ)トム・ソーヤーの冒険〈上〉 (岩波少年文庫) クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))
ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021)) ちいさいおうち (岩波の子どもの本)