自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1707冊目】ローラン・ビネ『HHhH』

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

これは、スゴイ。とんでもない作家の登場だ。

著者ローラン・ビネは1972年生まれのフランス人。なんと本書が小説第一作だというが、実は本書は、単なるフィクションとしては書かれていない。著者は、自分自身である「僕」の「書きつつある」視点から、その逡巡も屈託もむき出しにしつつ、1942年のナチス・ドイツ占領下のプラハを描き出しているのだ。

そういう意味では、本書は「ノンフィクション・ノベル」ということになるのだろう。そして、この「ノンフィクション」であることが、ナチスを扱うにあたっては大きな意味をもつ。

なぜなら、思えばナチス・ドイツは、小説や映画の世界では、言ってみれば人類共通の悪役である。フィクションという設定下であれば、どんな邪悪な所業を行わせても、たぶん誰からも文句は出ない。

しかし、そんな中だからこそ著者は、「事実」にこだわった。ちょっとした会話やら服装やらのディテールにこだわり、「本当にそんなことがあっただろうか」と何度も自問した。そのことによって、安易な「悪役としてのナチス」ではなく、ノンフィクショナルでリアルなナチス・ドイツに迫ったのだ。

「もちろん、創作ではない! そもそもナチズムに関して何かの創作をして、どんな意味があるのだ?」(p.58)


その結果が「事実」を突き詰めていく著者自身のノンフィクショナルな視点を導入し、2008年と1942年を行ったり来たりするという変わったスタイルだった。しかし、だからこそ、本書は迫真の小説となりえたとも言える。一見すると物語への没入を妨げることになりそうな著者の独り言が、かえって小説に独特のリアリティを与えている。

構成も変わっている。本書の主人公は(いちおう)ナチスの高官へのテロを敢行する二人の青年、ガブチークとクビシュであるのだが、小説の前半ではほとんど彼らは登場せず、ただひたすら、ナチス・ドイツのチェコに対する横暴と、ユダヤ人に対する暴虐の数々、そしてなんといってもテロの標的となるボヘミア・モラヴィア総督代理、「金髪の野獣」ハイドリヒの圧倒的な冷酷さ、有能さ、残虐さを描いていく。

この時間をかけた舞台設定が、一気呵成の後半に活きてくる。ハイドリヒへの二人のテロと、それに対するナチスの凄惨な報復は、読んでいて息が詰まるすさまじさだ。意外だったのは、ナチの高官に対する成功したテロ・暗殺は、このガブチークとクビシュによるものが唯一であったということだ。その意味では、確かにこの二人は英雄だったといえる。チェコが現在も彼らを称えていることも理解できる。

だが、それでも本書は単純な英雄譚ではない。むしろ戦争と占領の過酷さこそが、読み終わってからずっしりと感じられる。それはやはり、繰り返しになるが、著者のたぐいまれなノンフィクション的手法の成果であろう。

本書はその意味で、そこらのナチス・ドイツものの小説すべてを蹴散らす一冊である。処女作にして、とんでもない作品を書いたものだ。心配なのは最初からこの水準では、果して第二作を書けるかどうかだが……まあ、楽しみに待つとしよう、か。