自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1682冊目】灰谷健次郎『兎の眼』

兎の眼 (角川文庫)

兎の眼 (角川文庫)

教育・学校本10冊目。このシリーズ、全部で20冊を取り上げる予定なので、そろそろ折り返し点だ。

さて、教育・学校を考える本として、私にとって原点となっているのが本書である。子どもの頃以来の再読だったが、懐かしく思い出しながらも熱中。子ども時代に心震えた本に大人になっても感動できるなんて、なかなかない。ありがたいことだ。

廃棄物処理場の職員住宅に住む小学校1年生の「鉄三」と「小谷先生」の交流を軸に、人間の尊さや教育のすばらしさが、子どもにも届く気張らない言葉で、真正面から描かれているのだが、今回、読み直してあらためて驚いたのは、最初から読み手をつかんで離さない、物語のもっている強烈な磁力だった。

鉄三がカエルを引き裂くショッキングな冒頭のシーンから、大八車に足立先生が乗っているラストシーンまで、一瞬たりとも目が離せない。子どもの頃、本書で感動して、灰谷健次郎の作品を他にもいくつか読んだが、これほどの緊張感と魅力のある作品は他になかった。やはり飛び抜けた傑作なのだ。

ほとんど黙ってばかりでハエをこよなく愛する鉄三をはじめ、鉄三の祖父であるバクじいさん、処理場の子どもたちや「せっしゃのおじさん」など、味のあるキャラクターがたくさん出てくるが、一人選べ、と言われれば、私は「足立先生」をイチオシしたい。ぶっきらぼうで歯に衣着せず言いたいことをいうため先生には煙たがられているが、子どもたちには絶大な人気がある。とりわけ足立先生の授業のシーンは絶品である。教員志望者はぜひ一度読んで、打ちのめされてほしい。

最初に読んだ時はピンとこなかったが、今回読みなおして感じ入ったのは、知的障害のある子どもを養護学校に入る前の1ヶ月間だけ、小谷先生の教室で受け入れるくだり。この「みな子」という子、授業中にふわふわ歩きまわり、隣の子のノートや教科書を破り、話す言葉といえば「オシッコジャアー」だけ。しかもこの言葉を聞くや否や、小谷先生はみな子を連れてトイレに突進しなければならない。それでも間に合わず、教室でおもらししてしまうこともある。

こんな「厄介な」子どもを受け入れたことに対して、親は「周りの勉強が遅れる」と小谷先生をつるしあげる。しかし小谷先生も引かない。引かないでいるうちに、こんどは子どもたちが変わり始める。自分のことばかり考えていた子が、他人のことを考えられるようになったのだ。しまいには子どもたちが自発的に「みな子当番」を決めてはどうかと提案するのである。

教育とは何なのか、成長とは何なのか、心底考えさせられるシーンである。その後もみな子がいろいろなトラブルを起こし、そのことで他の先生からも責められて職員会議で泣き出してしまった小谷先生に、足立先生はこう話す。

「小谷先生はきのうからこちら泣いてばかりいる。なにを泣くことがあるんですか。泣くな小谷先生と、みんながいってあげんといかん。さきほど話したベテルのボランティアの中には失業者や貧困者、非行少年さえまじっているという。ちえおくれの人たちのことを障害者とわれわれは呼ぶが、心に悩みをもっているのが人間であるとすれば、われわれとてまた同じ障害者です。小谷先生は、みんなもよく知っている臼井鉄三でさんざん悩んだ、血を吐くような思いで一歩一歩鉄三の心に近づいていった。小谷先生には問題児も、ちえおくれも、学校の教師も何もない、みんな悩める人間だったんだ」


本書ほど鮮やかに、教育の原点、いや、人間の原点を描いた作品はなかなかない。人間が人間を教えるという意味を知りたければ、小谷先生が鉄三を教える姿を見ればよい。最後の方に出てくる小谷先生の授業シーンで、鉄三がつたなく書いた文章を読むとよい。人間の尊厳のありようを知りたければ、バクじいさんの語りに耳を傾け、小谷先生や足立先生と一緒に大八車を引いてクズ屋さんをやればよい。

金八先生もGTOも、その原型はここにある。教師になりたい人、教師になってしまった人、子どもの親、子どもたち、すべての虐げられている人、すべての抵抗者の、読むべき一冊。そして読み終わったあと、なぜか小谷先生の高校時代の恩師が語ったという言葉が、韻々と胸に響いてやまなかった。最後にその言葉を引いて、次の一冊につなげてみたい。

「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」