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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1681冊目】橋本武『伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力』

福祉・教育・医療

伝説の灘校教師が教える 一生役立つ 学ぶ力

伝説の灘校教師が教える 一生役立つ 学ぶ力

教育・学校本9冊目。そろそろ具体的な「教室」という現場に入っていく。まずは有名な「銀の匙授業」から。

本書刊行の翌年、2013年9月に著者はお亡くなりになった。101歳であった。ということは、本書は99歳、100歳で書かれたものということになる。実際に著者が筆を取って書いたものか、あるいは聞き書きかわからないが、いずれにせよこれだけ力強く魅力的な学習論、教育論をこの年齢でまとめられること自体ものすごい。テレビ番組にも出ておられたが、やはり非常に力強い話し方で、同時にキラキラした目が印象的だった。

著者は日本を代表する名門進学校、灘校で50年間教壇に立ち、中勘助の小説『銀の匙』一冊をテキストに中学三年間の授業を行うという破格の授業スタイルで有名になった。作中に凧上げのシーンがあれば運動場に出て凧を揚げ、百人一首が出てくればクラスで百人一首大会を行う。著者自身が本書で書いているように、「横道にそれる」ことを徹底した授業だった。

学習指導要領では100パーセントありえない教え方であろう。しかしこの授業が行われている間に、灘校は、公立校に行けなかった子が落ちこぼれて行く学校から、東大合格者日本一の超進学校に変身したのだ。

もちろん著者自身言われるように、この授業だけがその要因ではないのだろうが、それにしてもこういう事例をみると、いろいろ考えさせられる。東大合格者数だけで教育の良し悪しが測れるワケじゃないが、それにしても教育ってなんなのか、さらには教科書からカリキュラムまでガチガチに教師を縛っている公立校のシステムとは、いったいなんのためにあるのだろうか。

だいたい「横道にそれる」ことは、「ふつうの」学校教育の中では御法度と言ってよい(それでも多少の「横道授業」はあるし、生徒にとってはそういう授業こそ忘れがたいのだが)。そんなことをやるくらいなら新しい文章をどんどん読み、新しい問題をどんどん解きなさい、と言われるのではないだろうか。

だが著者に言わせれば、そうしたやり方こそ大間違いだ、ということになる。「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」のである。あえて言うなら、横道とは単なる授業中の息抜きではなく、授業そのもの、学びそのものの「王道」なのだ。

そしてもうひとつ、横道にそれることを嫌う受験勉強プロパーの学習法は、どこかで「必要最低限のことを効率的にやればいい」という考え方をもっているように思われる。無駄な勉強はしません、試験で出題率が低ければやりません、という具合に。

だが著者は、むしろ「必要以上に」勉強せよ、と言う。過剰なものをあえて取り込むことで、心のゆとりが生まれる。「銀の匙授業」を受けた連中は「東大の入試問題なんてヘッチャラだ」と言ったという。横道にそれるということは、そこでテキストを読んでいるだけでは学びとれない「上積み」の部分を学ぶということなのだ。それを著者は「教養の詰め込み」と表現している。

なんだかこう書くと、横道にそれるといってもけっこう大変そう……と思われるかもしれない。確かに大変かもしれないが、実はそこにひとつの仕掛けがある。

横道にそれるということは、いわば「遊び」を入れること。自分の興味の範囲を広げ、興味のセンサーが動いた方に突進するということである。

そしてご存知のとおり、子どもは(大人でも)勉強せよ、と言われても最低限のことしかやらないくせに、「遊び」となると「ひとたび自然と何かに興味をもてば、自分から進んでやるようになる」(p.27)のだ。

考えてみれば、この「遊びが学びになる」という転換こそが、「銀の匙」授業の「奥義」なのかもしれない。遊びだから適当になる、のではない。遊びだから真剣に、過剰に取り組むのだ。教師は子どもたちの「遊びのエンジン」を、ただテキストの中に向けて駆動させてやればよい。

そして遊び感覚の勉強の過剰が余裕を生み、本筋たる勉強に豊かさと奥行きをあたえ、さまざまな事態への対応力を高めるのだ。考えれば考えるほど、この「銀の匙」授業は、学びの本質を見事に衝いている。見事としか言いようがない。

さらに、本書を読むと、こうした教育法は著者自身の生き方でもあったことに気付く。さまざまな趣味に没入し(宝塚ファンだったというのにはびっくりした)、興味と好奇心を大切にしつづけた。だから100歳になっても、あんなにキラキラした目で、明晰な頭脳をもったままでいられるのだ。あんな、いたずらを思い付いた子どものような目で熱心に「横道授業」をやられたら、どんな子どもも参ってしまうだろう。

本気で遊ぶべし。本書の最大の教訓である。そういえば最近、本気で遊んだのはいつだっただろうか……。

銀の匙 (岩波文庫)