読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1675冊目】森口朗『日教組』

日教組 (新潮新書)

日教組 (新潮新書)

教育・学校本3冊目。

「二〇〇九年に民主党政権が誕生した時に、誰がここまで露骨に日教組日本教職員組合)に擦り寄った教育政策が行われると予想したでしょう」

本書の「はじめに」と題した文章は、こんな一文から始まる。露骨といえば、これこそまさに露骨なアンチ日教組宣言だ。にもかかわらずこの「はじめに」は、こんなふうに結ばれている。

「予断と偏見に流されずに、過去の歴史や現在の状況を冷静に分析し、日教組の真実の姿に迫りたいと思います」


おいおい、冒頭から予断と偏見全開のスタンスでいたくせになに言ってるの、と噴き出したのは私だけではあるまい。あ〜あ、これも世間によくあるアンチ日教組本のひとつか、とうんざりしながら本文を読み始めたのだが、ところが読むうちに、だんだんと背筋が伸びてきた。これは単なる勢い任せ、感情任せのアンチ日教組本ではないことに気付いたからだ。

こういう本は珍しい。むしろ逆のパターンが多いのだ。私は偏見も予断もありませんよ、フェアに論じますよ、と前フリしておいて、内容は偏見・偏向バリバリというヤツだ。こういう本が始末に悪いのは、自分が「中立的」で「正しい」と、著者が思い込んでいるところ。だから「絶対の正義」を論じているつもりで、傍から見ればむちゃくちゃ偏った議論が展開される。

本書はそれと似ているようで、全然違う。偏見全開のスタンスを最初に出しておいて、内容はけっこうフェアなのだ。特に「日教組は戦後民主教育の申し子である」というくだりなど、私自身、読んでいて日教組に対する認識を改めさせられた。

どういうことかというと、そもそも戦後間もない時期、文部省がGHQの意向に沿って出した「新教育指針」というものがあった。この新教育指針は、日本を民主的・平和的な文化国家にするための教育のありかたを示すもので、「教育の民主化」「生徒の個性尊重」などが謳われていた。しかもご丁寧に、「文部省はこの指針を教育者に押し付けようとするものではない」「教育者はこれを手掛かりに、自由に考え、批判しつつ自ら教育方法を工夫してほしい」といった見解まで示されているのだ。

この「公的見解」を愚直に信じ、実践したのがまさに日教組だった。日教組教員は文部省から手渡された「新教育指針」という手引書によって誕生し、その手引書の教えを愚直に守ってきたにすぎません」(p.52)というのは、レトリックでもなんでもない「事実」であろう。その内容はまさに戦後民主教育そのものであり、繰り返しになるが、それを推進してきたのは、文部省であり、政権与党であった自民党の前身政党だ。したがって、日教組を批判するなら彼らもまた批判されるべき、と著者は主張するのである。これは筋が通っている。

日教組の側に言わせれば、態度をコロリと変えたのは与党や文部省のほうだったのだ。日教組はむしろ、GHQ以来の「戦後日本の原点」を純粋培養させてきたにすぎないのに、その後の「逆コース」と言われるような動きの中で、占領政策をひきずったリベラルで左派的な政策は打ち捨てられ、なしくずし的に日本は中道回帰したのだ。

日教組社会党系の勢力からすれば、話が違うじゃないか、と言いたくなっても無理はない。その反動で「逆コース」化を主導した米国から離れ、対立していたソ連などの共産主義勢力に近寄ったのは、言ってみれば自然の成り行きだったのかもしれない。

事実、日教組は実質上、共産主義に拠って立つ団体であった。だがいきなりそんな主義思想を前面に出したら、大方の組合員は引いてしまう。だから日教組共産主義という「密教」を持ちつつ、表向きは戦後民主主義という「顕教」を掲げた「教団」であったのだ、と著者は主張する。そして何も知らずに誘われた教員は、いつのまにか共産主義的思想にかぶれ、「組合活動を通じて顕教信者が徐々に密教信者に変っていく」(p.111)

もっとも、こうした構造は日教組に限らず、特に米ソ冷戦構造下では、労働組合を中心に日本全体に広く見られた現象だろう。そしてソ連の崩壊があり、共産主義への幻滅が世界的に広まる中、多くの労働組合と同じく、日教組も組織率の低下に悩まされる。最盛期には100%近かったとされている加入率も、今や二割そこそこらしい。

しかも本書刊行時「日教組寄りの政策を行う」と危惧されていた民主党は、あっさりと政権与党の座を追われた。本書執筆のきっかけは、死にかかった日教組民主党政権の誕生によって「ゾンビのごとく蘇って」くることへの危機感だったというから、著者としてはまあ一安心、というところだろう。

ひとつ、読んでいて気になったのは、これは日教組に限ったことではないが、教職員組合、あるいは労働組合というもの自体が、共産主義と一緒に没落してしまって良いのだろうか、ということだ。そもそも労働組合とは何のためにあるのか。日教組が否定されるべきなのであれば、その代わりとなる存在はどうあるべきなのか。本書は日教組叩きに忙しすぎて、そうしたところまで議論が及んでいないが、教師という仕事のハードワークぶりも考えると、本来はそうしたところまでセットで考えていかなければならないように思われる。

もっとも、新聞報道によると、共産党の加入者数はここしばらく増え続けているという。特に若者の加入増が顕著らしい(→記事URL)。ソ連崩壊の「歴史」を知らない層が流入しているのだろうか。案外、物事は単純にはいかないようだ。日教組もこれに伴って息を吹き返すのか、それともこのまま衰退するのか、本書を読んだ後ではいささか気になるところである。