読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1674冊目】小川正人『教育改革のゆくえ』

教育改革のゆくえ ――国から地方へ (ちくま新書 828)

教育改革のゆくえ ――国から地方へ (ちくま新書 828)

教育・学校本2冊目。

著者は教育行政学が専門で、文部科学省中央教育審議会委員も務めるなど、教育改革の中枢で活躍されている方だ。2010年の刊行なので、内容は民主党政権の頃のものだが、渦中にいた方だけあって、国レベルでの教育政策の動きや文部科学省のスタンスについての解説は、さすがに参考になる。

局単位の積み上げ方式から内閣主導のトップダウン型政策決定への転換、「文教族」と呼ばれる族議員の衰退など、特に小泉政権における構造改革以降、国の教育行政のダイナミズムは大きく変わったという。本書はそのプロセスを詳細に解説しているが、中でも印象的だったのは、マスコミ報道でも有名になった義務教育費国庫負担金をめぐる攻防だ。

それまでの文部科学省は、財務省にカネを、総務省にヒトを握られつつ、それなりに均衡を保ってやってきた。ところが三位一体改革では、地方への税源移譲を主張しつつ地方交付税を維持しようとする総務省と、そのいずれにも反対する財務省がぶつかり合うなかで、「既存の国庫負担・補助金の廃止・縮減に見合った限定的な地方への税源移譲」という妥協策がとられた。

そこで狙い撃ちにされたのが、この義務教育費国庫負担金であった。なにしろ教職員給与の半分を国が負担していたのだから、金額の「嵩」が大きい。

大義や理念より「数字合わせ」が優先された。理念を唱えるべき文部科学省は、それを財務省総務省に届けるすべを持たなかった。この「仁義なき戦い」は、文部科学省の置かれた立場の弱さをあらためてつきつけるものだったらしい。本書では「文部科学省のある幹部」の生々しい発言が採録されている。

「今の世の中では財務と総務が強いわけです。財務省は金を握っている。総務省は地方と人を握っている。財務と総務が手を握ったら、われわれは、もうはっきり言って埋没せざるをえない」(p.66)


さらに見逃せないのは、こうした力学が第一次安倍政権での教育基本法改正(例の「愛国心」などを盛り込んだやつ)にもつながったという指摘だ。もともと文部科学省は、教育基本法の改正についてはそれほど熱心ではなかったらしい。だが財政改革の中で教育関係の予算も削られつつある中で、歯止めをかけるために必要な政治力を調達するため「旧法の改正を結党以来の悲願としてきた自民党の要求を受け入れるほかないと判断された」(p.79 ただし市川昭午氏の文章を再引用)のだ。

教育という、前の本で言えば「政治的中立性」が重視される世界で、こういう生々しい政治力学が働くのもなんだかなあ、と思うが、しかしこれが国における教育行政のリアリズムであることは知っておいた方が良いだろう。さらに、こうした財政改革、三位一体改革の影響は地方にも現実に及んでいる。具体的には、補助金交付金化(一般財源化)されたことで、教職員の給与削減や非常勤雇用による「常勤定数崩し」、就学援助の縮小などが一部自治体で起きているらしいのだ。

まあ、タテマエとしては、自治体内での予算配分や使い方はそれこそその自治体に任されるべきであるし、それが地方自治というものではあるのだが、現実にこうした状況が起きてしまうと、やはりいろいろ考えさせられるものはある。著者は改革案として、教育目的のみに使途を絞った「教育特定交付金」を提唱している(これは検討に値するとは思うが、これをやると同じように「福祉特定交付金」とか「環境特定交付金」などが省庁ごとにつくられそうな気もする)。

いずれにせよ、教育(特に義務教育)は地方で担うものであると同時に国家の事業でもあるのだから、ナショナル・スタンダードを定め、明確な役割分担と責任分担を図ることはどうしても必要である。そして、同時に考えなければならないのは、地方で担うにせよ、そこで首長の関与をどこまで許すかという、例の「教育行政の政治的中立性」の問題だ(国レベルでは政治的中立性は二の次というのはさっき書いたとおりだが、まあそれは措く)。

著者はこのあたりの問題を「集権−分権」「統合−分立」の二軸で整理している。この整理の仕方はすばらしい。だが、この「集権−分権」軸にせよ、「統合−分立」軸にせよ、重要なのはその極端に寄ることはあまり好ましくない、ということだ。

前者で言えば、国が完全な中央集権でやるのはマズイが、だからといってすでに述べたように教育は国家事業としての側面もあるのだから、地方だけがすべてを担うというのも適切ではない(少なくとも財政的支援は必要だ)。

後者についても、首長がまったく教育行政にコミットできないという「教育行政独立王国」みたいな仕組みは問題があるし、だからといって昨今議論されているように、教育委員会を全廃したり首長の下部組織や諮問機関にするというのも極端だ。

あえて言えば「つかず離れず」の微妙な距離感を保ちつづけ、バランスを取り続けなければならないのが、教育行政の難しさなのだと思う。「中道」の知恵は教育自体にも必要だが、教育行政にもまた求められている、ということか。