自治体職員の読書ノート

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【1649冊目】広井良典『人口減少社会という希望』

タイトルだけみると「えっ」と思うが、著者の主張に触れたことがある方なら、それほど意外なモノではあるまい。著者はずっと前から、人類の歴史を「短い成長・発展期」と「長い定常期」と捉え、「定常型社会」を提唱してきた人なのだ。

読んでいて驚いたのは、その射程の広さだ。本書は2部構成になっているが、第1部は定常型社会を歴史的にはノーマルな社会形態と捉え、そうした社会に対応する制度や考え方を整理するもので、まあこれまでの著書の延長線上と言ってよい。

だが第2部では、「地球倫理」というタームを登場させ、そのもとに社会や歴史のみならず、生命の自己組織性から古事記におけるコスモロジー、「ケアとしての科学」を目指した科学観の転換などに話が及び、人類・生命・地球丸ごとが論じられる。なんともスケールの大きな議論だが、それでいて内容はちゃんと前半の「定常型社会」論と結びついているのはサスガである。

スケールが大きい分、いささか各分野からのつまみ食い的なところも感じられ、議論としてはかなり荒削りだが、しかしおそらく、著者もそれは承知の上。著者は緻密な議論より、ここでは自身の思想を思い切って拡大し、「知」の横断的ラフスケッチを描いてみせたのではないかと思う。

その軸になっているのが、さきほどの「地球倫理」という考え方だ。著者によれば、これはローカル(地域的、個別的)とユニバーサル(宇宙的、普遍的)の両者を「乗り越える」概念であり、あえて言えば「グローバル」ということになる。

もちろんそれは、世界中を均質化する一般的な意味での「グローバリゼーション」とはまったく異なる。むしろ「地球倫理」が目指すのは、「普遍かつ多様」とでもいうべき状態だ。著者の言葉を引用してみる。

「……つまり、それは単に自らの「普遍性」を主張する思想ではなく―それは現在のようなグローバル化の時代においてはその共存が困難になっている―、むしろ自らの思想自体が何らかの意味でその生まれた環境に規定されたものであることを自覚し、かつ、いわば一歩外側(メタレベル)に立った視点から、地球上の様々な異なる思想がそれぞれの生成した環境や風土に規定されたものであることを理解し、その上でそれらの共存多様性を積極的に肯定できるような理念あるいは世界観である」(p.240)


しかも著者は、これを宗教や思想のみならず、人間の生き物としての立ち位置にも適用し、環境と人間の関係というエコロジカルな視点にも適用する。なんだか一歩間違えれば単なる価値相対論や妙なスピリチュアリズムに陥りそうであぶなっかしいが、著者は大真面目である。

さらに、こうした第2部の内容を踏まえて第1部を読みなおしてみると、そこで論じられている「定常型社会」における社会のあり方が、第2部の内容と対応しているのに気付く。例えば日本の将来像として「多極集中」を挙げているが(p.95)、これなど先ほどの「ローカルとユニバーサルからグローバルへ」の視点と重なり合っている。著者のなかでどちらが先なのかは分からないが……。

本書に書かれていることが稀有壮大なトンデモ理論なのか、21世紀の日本と世界を見通した炯眼なのか、今のところはどちらとも言い難い、としか言いようがない。だが、思想とは深く突きつめていけば、本来はこうして宇宙像から(本書には多元宇宙の話まで登場する)生物学から歴史から宗教からと、あらゆる領域がそこにクロスオーバーしてくるものなのだろう。

たいていの本ではそこを自己抑制し、いわば「バットを短く持って」確実に言えそうなことだけを紹介していく。本書はそこを、あえて思いっきり「大振り」した一冊なのだ。その結果、ボールが果してどこに飛んでいったのか、今度は読み手であるわれわれが追っていくべきなのだろう。次の著作で著者がどんなふうに「化ける」か、楽しみに待ちたい。