自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1638冊目】ラジスラフ・フクス『火葬人』

火葬人 (東欧の想像力)

火葬人 (東欧の想像力)

なんだかひどく底冷えのする小説だった。現実のつもりで読んでいたら、実は現実と似通った悪夢だった、ような気分。

カレル・コップフルキングルはプラハの火葬場で働いている。昼は「規則正しく」死んだ人を焼き、家に帰れば妻と子が待っている。酒も飲まず、煙草も吸わず、日々の勤めを淡々とこなしている中年の男である。

一見、いささか生真面目だが平凡な男である……ように思われる。思われる、というのは、この男がやたらにおしゃべりなのに、その心理描写がまったくないからだ。見た目はそれなりに社交的だし如才ないが、何を考えているかまるっきり分からない。その不気味さは、ナチスズデーテン地方に侵入し、ヒトラーの影がプラハを覆うにつれて際立っていく。

特に気味が悪いのは、カレルに葛藤らしきものがまったく感じられないこと。何に対する葛藤かを明かすとネタバレになってしまうのだが、まあいいや、言ってしまおう。ユダヤ人の血を引く自分の妻と子に対する残酷な仕打ちを、カレルは平然とやってのけるのだ。昨日まで「愛している」「美しい」と言っていた相手なのに。ナチス・ドイツの「方針」に、機会的に従うまま。

そこに「悩み」や「苦しみ」の気配は、一行たりとも感じられない。仕事で遺体を焼く時のように、淡々と、カレルは「やるべきこと」をやってのける。そこにあるのは「悪」でさえない。悪であれば、そこに自らの感情や意志が動いているだけ、まだ救いがある。カレルにあるのは「虚無」だけだ。

しかもこの小説、カレル自身の異様さよりも先に、周囲の描写がなんだかやたらに怖いのだ。白襟に赤い蝶ネクタイの太った中年男や、頬の赤い黒いドレスの娘、声高にケンカする夫婦、といった同じ格好・行動の人物が、いろんな場面に登場する。全然関係ない場面で、名前も何も説明のないまま、何度も何度も。

「動物園」「蝋人形館」「火葬場」などの舞台設定もなんとも不気味で、読むうちに現実感が少しずつ削り取られていく。怖いというより、なんだか落ち着かない。主人公カレルのうそ寒い内面も含めて、まさに「底冷えする読中感覚」なのである。

こういう小説体験は初めてだ。そして、多分一生忘れられないだろう。著者は日本ではほとんど無名の作家だが、よくぞ翻訳していただいた。感謝。