自治体職員の読書ノート

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【1621冊目】中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』

現代日本の政党デモクラシー (岩波新書)

現代日本の政党デモクラシー (岩波新書)

戦後日本の「政党史」を概観しつつ、「政党」と「政治」と「選挙」の今後を洞察する一冊。「自治体法務の備忘録」のkei-zuさんにリコメンドいただきました(感謝!)。著者のことは全然知らなかったのだが、読んでみたらたいへんよくまとまっていてびっくり。kei-zuさんのオススメされる本には前から「当たり」が多いんだが、本書もそのうちの一冊だ。読むだけで、戦後、特にここ20年くらいの政治状況が、呆れるくらいクリアに見えてくる。

今やすっかり下火になってしまったが、民主党への政権交代が起こった2009年の総選挙は「マニフェスト選挙」と呼ばれた。政党は、具体的な政策目標やそこに至る工程表、財源などを示した「国民との約束」であるマニフェストを掲げて選挙を戦い、多数党となった暁にはその約束を果すものとされた。

著者は「こうしたマニフェストという考え方の背後には、ある特定の民主主義モデルが存在する」(p.2)と指摘する。民主主義すなわちマニフェスト、ではなく、マニフェスト選挙を選ぶことで、われわれはいくつかある民主主義の類型のひとつを(無自覚に)選択していたのだ、というのである。

それを著者は「市場競争型デモクラシー」と呼ぶ。市場競争とデモクラシー、という取り合わせはなんだか妙な感じもするが、著者はアンソニー・ダウンズの理論を下敷きにしつつ、シュンペーターの理論と比較して、この意味を明らかにしていく。

シュンペーターは、有権者「個々の政策に関する十分な判断能力を持たず、合理的に行動することができない存在」(p.13)とみなした。言い換えれば、有権者は「正しい選択はできないが、正しい選択を行うと思われる人を選ぶことはできる」存在とされたのである。そのため政治家はいわばエリートであり、政策的なフリーハンドを持っているとされる。これを「エリート競争型民主主義」と呼ぶ。

これに対してダウンズは、有権者「合理的な存在であり、自らの効用を最大化する政策を実施してくれる政党を選んで、投票を行う能力を持つ」(同頁)存在と位置づけた。この場合、有権者は具体的な政策(つまりはマニフェスト)の内容も「込み」で政治家を選ぶため、選ばれた政治家は選挙で掲げた政策を履行するよう求められることになる。これはいわば有権者と政治家の「契約」なのである。これが「市場競争型デモクラシー」と呼ばれるのは、合理的個人を前提とする経済学のモデルと近いためらしい。

ちなみに、デモクラシーにはもうひとつの類型がある。それが「参加デモクラシー」と呼ばれるもので、本書ではこれを「草の根の市民の参加による直接民主主義の復権としている。市民の政治参加を選挙の時だけに限定せず、市民の政治参加をひろく認めるこうしたデモクラシー観は、実は地方自治との親和性も高いという。身近な地域のほうがこうしたきめ細かい市民参加に取り組みやすく、またそれが「自治」の理念とも合致するからであろう。実はこの「参加デモクラシー」の要素は、本書の最後、競争デモクラシーの限界を論ずる中で、救世主のように再登場してくることになる。

さて、本書は主にシュンペーター型の「エリート競争型」とダウンズの「市場競争型」のふたつのデモクラシー観を軸に、戦後の政党史・政治史を追っていく。中でも影響が大きかったのが、1994年の小選挙区制導入であり、2009年に頂点に達したマニフェスト選挙であった。小選挙区制は「勝者総取り」のハードな選挙戦につながり、マニフェスト選挙は、支持政党が毎回変わる「そのつど支持」有権者を増やした。

そして、今はポスト・マニフェスト、ポスト市場競争型デモクラシーの時代である、と著者は言う。そこで待っているのは「政党なきエリート競争型デモクラシー」だ。

なぜマニフェスト選挙はダメになってしまったか。著者はそこに、イメージ中心の選挙戦という「内在的限界」と、参議院の存在という「外在的限界」を指摘している。しかし、思うのだが、この二つの限界は、そもそもマニフェスト選挙が謳われる前からあったのではなかったか。つまりマニフェストは、そもそもダメだったのではないか。

実際、小沢一郎マニフェストについて「多くの有権者は読まない」と断じ、小泉元首相も「そんなに詳しい公約をこしらえても、有権者は読まない」と語っていたという。橋下市長に至っては「あんなに政策を具体的に並べて政治家の裁量を狭くしたら、政治なんかできない」と言っている。ちなみに菅元首相のもとで民主党参院選に大敗した大きな要因は、財源の裏付けのあるマニフェストを「生真面目に」作ろうとして、消費増税の可能性を盛り込んだことだった。

どうも本書を読んでいると、マニフェストはある種の「タテマエ」の域を超えていない、言葉は悪いが「机上の空論」だったのではないかという気がしてくる。北川正恭氏の言われる「ローカル・マニフェスト」は、地方政治の現場ではそれなりの成果を挙げたように思うのだが、国政規模ではちょっと無理があるのかもしれない。だったら橋下市長が言うような「白紙委任」のエリート競争型デモクラシーがいいのかというと、それもちょっと違うような気がする。

本書の終章、著者は、先ほども書いたように参加デモクラシーと競争デモクラシーのいわば融合を試みる。具体的な提案の中身は本書を読んでいただきたいが、その中で私が同意したいのは、日本は二大政党制(や一党独裁制)から「穏健な多党制」へと移行すべきではないか、という提案であった。もっとも、そのためには小選挙区制から変えていかなければならないのだが……今の自民党に、はたしてそれが可能だろうか? 実は選挙制度を変えるにあたって難しいのは「どういう制度が妥当なのか」を考えることではなくて「それをどうやって(現制度で選ばれた国会議員によって)実現していくか」を考えることの方なのだ。