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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1620冊目】いしいしんじ『ポーの話』

ポーの話 (新潮文庫)

ポーの話 (新潮文庫)

う〜ん…不思議な小説だった。物語、というよりこれは、神話?

泥の川に棲む「うなぎ女」たちのもとに生まれた「ポー」が主人公。「うなぎ女」なんてなんだか村上春樹みたいだが、しかしこの物語は、村上春樹よりもっと深いところを流れている。

そこに登場するのが、空模様を映すコンパクトをもった天真爛漫な「天気売り」に女たらしの盗賊「メリーゴーランド」とその妹「ひまし油」、飼っている犬に「子ども」などという名前をつけている「犬じい」、レース鳩を飼っておりたくさんの人足を奴隷のようにこき使う「埋め屋夫婦」という、まあなんとも摩訶不思議でシュールレアリスティックな連中ばかりなのだ。

だいたいポー自身、人間なのかどうかも良く分からない。手指の間に水かきが生え、何分間も水に潜っていられる。善でも悪でもなく、そのどちらでもあるようなシンプルな性格。この「ポー」がいわば空洞のような中心になっていて、その周りを個性的で強烈な登場人物が次から次へ登場する。

読んでいて、いろんな小説や映画を思いだした。最初は村上春樹、次に小川洋子、五百年に一度という洪水のシーンは『崖の上のポニョ』(そういえば、一番似ているのは「ポニョ」かもしれない)と、そして東日本大震災。震災前に書かれているはずなのに……。

それは単に洪水のシーンが出てくるからではない。この小説自体が、破壊や死と再生の繰り返しによって成り立っているからだ。特に物語の最後のほう、「泥まみれのれんがや、子供用の釣り竿、ふやけた古手帳に、水草におおわれた犬の首輪など」水に沈んだいろいろなものをひとつひとつ水面まで運び上げるポーの行為は、あの津波と破壊の後で読むと、なんだか胸が詰まるものがある。

「橋をかけるようなものだと、ポーは感じていた。目に見えないあちら側と、この世の岸とのあいだに、頼りなくかかる、か細い橋。気づいてもらえるとは限らない、その場に忘れられ、朽ち果てていくことのほうが、おそらくは多い(まだ新しい死体は別として)。けれどもポーは、潜水をやめなかった。暗い水のなかに潜ることは、もともと、この世の誰よりもうまくやれるのだ。広野の埋め屋や、橋きちがいさながらの熱心さで、ポーは泥に埋もれたからだと、そのからだにつながる遺品を、深い水底で懸命にさがしまわった。そして、それら「たいせつなもの」を、光の当たる生者の世界へもってあがった」(p.480〜481)


そして、何度か出てくるのが「つぐない」というテーマ。盗人のメリーゴーランドは、動物園のゾウにバナナをやることを、盗みのつぐないとしていた。だが本当に、それは「つぐない」なのか。やはり物語のラスト近く、「天気売り」の声を宿した人形は、ポーに次のように語る。このセリフ、忘れがたい。

「ポーも、おくさまも、ひましゆもいぬじじも、いきているうちがつぐないです。ふかいふかいそこで、まちがえないよういきていくのが、ほんとのつぐないですよ」(p.447)