自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1609冊目】北村亘『政令指定都市』

新書一冊、まるごと「政令指定都市」というのがなんともマニアックだが、読みだすとこれが面白い。政令指定都市の変遷と実像を通して、今の日本の「都市と地方」が見えてくる。なかでも興味を惹かれたのが、政令指定都市の成り立ちと歴史をまとめた第1章〜第2章だった。

そもそも政令指定都市は「妥協」から始まった。1947年に制定された地方自治法は、「特別市」という規定を置いていた。これは横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の五都市を完全に府県の域外に置くというもので、当時の地方制度調査会が内務大臣に提出した答申に基づく規定だった。

この答申は五都市を「府県と実質上、同等の機能を営み実力を有する大都市」と評価し、それを府県の監督下に置くことは「大都市の自由溌剌たる活動を制約し、その発動を阻害し、形式行政に堕する」「二重行政の弊」が少なくないとしたのであった。こうした考え方に基づいて、府県から大都市を切り離そうとしたのは、それはそれでひとつの見識だったというべきだろう。

だが、これは府県側の激しい抵抗を招いた。まあ、府県からみれば当然の反応だろう。地域内のリソースが集中し、巨大な財源を生む大都市を切り離されて「残存地域」だけでやれと言われては、府県にとってはたまったものではない。結局、すったもんだの挙げ句、1956年に特別市規定は削除、「大都市に関する規定」が代わりに盛り込まれ、政令でこの特例が認められた。現行の「政令指定都市」の誕生であった。

誕生というとなんだか華々しいが、ここには地方制度調査会が示したような大都市のあり方に対するポリシーもなく、かといって都市と地方の関係について別の明確な指針もなかった。なんとも中途半端な妥協案であったのだ。

政令指定都市は府県の業務の「7〜8割」を引き継ぎつつ、府県の内部にとどまることになった。ところがこの中途半端な政令指定都市が、後に大都市としてのステータスになっていったのだから、世の中わからないものである。

そもそも当初の想定では、戦前からの特例が定められていた五大都市以外に指定を行う考えは、国の側にはなかったという。だから政令指定都市になるのは大変だった。法律上は「人口50万人以上」というシバリしかないために、かえって都市側は政府の「インフォーマルな指定要件」を探り出すためにたいへんな労力を使った。著者はこれを「糸脈をとるような申請」と評しており、ちょっと面白い(糸脈とは、貴人の身体に触れることができない医師が、貴人の手首に巻いた糸から脈をとることを言うそうだ)。

風向きが変わったのは、2000年代以降の市町村合併推進だ。合併協議を前進させるため、総務省政令指定都市の事実上の要件緩和を、いわば「アメ」に使ったのだ。そのためもあって、現在、全国で20の政令指定都市があるが、そのうち実に8市が2000年以降の指定なのである。制定当初の5市を除けば、1956年〜1999年の約40年間に指定を受けたのがわずか6市であることを考えると、びっくりするような変化であろう。

そういうふうに、いろんな妥協や政治的思惑の中で翻弄されてきた政令指定都市であるが、なったらなったで大変なのがこの制度だ。都市部につきものの夜間人口と昼間人口のギャップ(税収規模以上の社会的インフラ整備を強いられる)、人口流入による生活保護費の増加、区制度の運用の難しさなど、その悩みは枚挙にいとまがない。

中でも区制度については、大規模化した基礎的自治体で住民自治をどう実現するかという大難問であり、大阪市のシティ・マネージャー制度のような試みも始まっているが、うまくいくかどうかは未知数だ。ちなみに個人的には、そうした中における著者のスタンスが、住民自治と地域エゴを直結させて考えておられるあたり、少々気になった。

「狭い単位での自治が実現するほど民意は反映しやすくなる一方で、その主張は狭い地域に特化したものとなりやすく、エゴイスティックな主張に陥る危険性も高まる。そして、水平的な調整には労力と時間がかかるだけでなく、必ずしも結論に至る保証もない。上位から一部のエゴイスティックな主張を抑えこむ場合は、皮肉なことに、全体的な観点から行動できる「強力な権力」が必要となる」(p.260〜261)


う〜ん……確かにそれはそうだろうと思うが、そもそも地方自治、住民自治というのは「そういうもの」なのではなかろうか。強いて言えば、そこを調整するのが都道府県であり、政令指定都市ならその市本庁なのだと思うが、余計な口出しばっかりするくせに、そういう肝心の調整をしてくれないのが市町村にとっては悩みのタネだったりするのである。

閑話休題。ちなみに、本書には大阪市の事例が多い。大阪都構想について多くのページが割かれているのは府市の二重行政の問題があるから当然として、夜間と昼間の人口ギャップ、生活保護費の増なども顕著であるらしく、都市としての悩みの深さは相当なものであるようだ。同じ中公新書で以前、砂原庸介氏の『大阪』という本をご紹介したが、併せて読むとより大都市の現状が分かるだろう。

なんでこんなことになっているのか、と言えば、昔から都市問題というのは大変なものなのだ、と答えるしかないだろう。だからこそそれに対応した「都市政策」が必要になるのだが、今の政令指定都市制度では、そこのところがあまりうまくいっていないようなのだ。だからこそ、次の著者の指摘が大事になってくるのではないだろうか。もちろん、単純な「地方切り捨て」にならないよう、相当周到に制度設計をしなければならないだろうが……

「国家全体のリソースが減少し、中央政府地方自治体への一律的な財政的配慮を行う余裕はもはやない。そうであるならば、今こそ国家が法的な自律性を与え、税財源での特別な措置を講じることで、経済的発展を牽引すべき大都市の実質的要件の法定化を検討する時期のように思われる」(p.253)

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)