自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1600冊目】松下啓一『協働が変える役所の仕事・自治の未来』

おやおや、いつの間にかキリ番の1600冊目。幸いにして、キリ番にふさわしい一冊になった。

わずか100ページちょっとの薄い本だが、内容は濃い。著者の専門分野である「協働論」のエッセンスがみっしり詰まっている。

今や、市町村レベルでは「協働」を謳っていない自治体の方がめずらしいかもしれない。だが、そもそも協働とは何なのか、という点を原理的なところからしっかり考えているところは、それほどないのではないかという気がする。

著者は協働について「コプロダクション(Co-Production)、コラボレーション(Collaboration)、パートナーシップ(Partnership)という3通りの英訳を挙げている。このうち「コプロダクション」「コラボレーション」は、いずれも行政と市民が「一緒に活動」するという共通点をもつ。一般に「協働」という言葉でイメージされることが多いのは、おそらくコチラのほうだろう。

一方「パートナーシップ」は、「行政と市民との対等性・関係性を重視する考え方」(p.6)であり、必ずしも一緒に活動することを含意しない。著者にとっての「協働」は、この「パートナーシップ」である。その背景にあるのは、そもそも公共というものは行政だけではなく、市民も共に担うものだ、という考え方だ。そして、ここが本書全体の「キモ」なのである。

一方で、本書にも紹介されているが「行政と市民が対等で」という「協働」概念には批判もある。行政というものは市民の奉仕者であって、市民は行政の主人なのだから、対等というのはおかしい、というロジックだ。

だが、著者流の協働の捉え方からすれば、この批判はやや筋違いということになる。なぜなら、そもそも市民は、確かに行政の雇い主でもあるが、同時に自らも公共の担い手でもある、という二面性をもっているからである。こう考えれば、行政と市民がそれぞれに公共に関する役割を解決するために活動するという協働は「あり」である。

今「それぞれに」と書いたが、そういえば著者は以前から「一緒にやらない協働」という、言葉だけ聞くと「えっ」と思うようなことを提唱されていた。だが、上のような理屈からすれば、「一緒にやらない」というのは、むしろ当然の結論ということになる。

「協働とは、行政による公共とは別のもうひとつの公共を認めるものです。市民の共通課題をテーマとする役所と自分たちの問題意識・関心で動く市民というもう一つの公共を両輪にしながら、市民が幸せに暮らせる社会をつくっていくのです。市民自身が、自分たちが大事だと思って行動することの公共的な意義を正面から認めるのが協働です」(p.47)

では、そのために役所はどうすればよいのか、ということを考えたのが第二部の「協働で役所の仕事が変わる」だ。自治体職員としては、この章だけでも読んでおいたほうがよい。ここでは「総務課だって協働がある」というサブタイトルどおり、人事課、財政課、法制課などの内部管理系の業務を中心に、協働という観点から業務内容や考え方の見直しを総ざらいしているのだ。

中にはかなりラディカルな見直し案も含まれていて、自分の所属部署ではどうだろうか、と否応なしに考えさせられてしまうのが面白い。ちなみに人事課のところでは「宣誓書の見直し」なんてのも出てくる。一見意外だが、理由を読めば筋は通っている。確かに行政の役割が変わってくれば、宣誓書だって変わらなければおかしいのだ。

読んで思ったのは、結局、協働とは単に一部の部署だけがやればいいというものではなく、今や行政の中心的なミッションであり、方向性そのものなのだ、ということだった。もちろんそのためには制度面の充実も大切だが、それより重要なのは、役所の「断固たる決意、逃げない姿勢」(p.98)であると著者は言う。同感である。協働を勘違いした自治体では、市民に任せっぱなし、放りっぱなしというケースもなくはないが、これでは公共の一翼を担う立場としては無責任というもの。役所が後ろでどんと控えているという安心感と信頼があってはじめて、市民も安心して活動に取り組めるというものなのだ。

協働ってよく聞くけど、なんかよく分からないんだよね……という人ほど、本書を読むと面白いし、得るモノは多いと思う。自分たちの現場で起きていることが、実はすでに「一緒にやらない協働」だったりすることもありそうで、そうなると自分たちの立ち位置に対する意識も変わってきそうだ。そして、個々の現場でそうした小さな意識の変化を積み重ねることが、日本の「自治」と「公共」のパラダイムを大きく変えることにつながるのかもしれない。

著者の協働論の集大成。必読。