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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1598冊目】岡井隆・馬場あき子・永田和宏・穂村弘選『新・百人一首』

百人一首」(小倉百人一首)は藤原定家による飛鳥〜鎌倉時代のセレクションだが、本書はその近現代版。明治天皇から穂村弘まで、近現代短歌の傑作から選び抜いた現代版・百人一首なのである。ただし選者は1人ではなく、4人の選者が25首ずつ選び、解説を添えている。

したがって、本書に登場する100人のラインナップはいずれも近現代の歌人を選りに選った人選のはずだが、そのほとんどを知らない自分にまずは愕然となった。特に現代歌人は全滅に近い。当然ながら、知っている歌もたいへん少ない。

もちろんこれは自分の無知ということなのだが、それを割り引いて考えても、歌人、短歌というものがいかにわれわれの生活から縁遠くなっているか、ということはあると思う。『サラダ記念日』がブームになったり、最近では穂村弘の歌集がそれなりに売れたりしているが、それが他の現代歌人にまで十分に波及しているとは思えない。いったい平成のこの世における「短歌」とはいったい何なのだろうか。

短歌自体の「力」が弱くなったワケではあるまい。実際、本書に収められている短歌は、どれも打ちのめされるほど強烈な「言葉の力」に満ちている。時空を超え、宇宙を呑み込むスケールと、一輪の花を捉え、人の心の微細なざわめきを描く繊細さが、わずか31文字の中に凝縮されていて、その迫力に思わず息を呑む。

たとえば竹山広の「二万発の核弾頭を積む星のゆふかがやきの中のかなかな」。地球全体の絶望から、すぐ近くの蝉の声へと、視点が一瞬にしてフォーカスされる(ちなみに竹山氏は長粼での被爆者でもある)。斎藤茂吉「ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも」のような無言の情景もあれば、私がいちばんドキッとした土岐善麿「遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし」という日中戦争下の作品もある。

時代を詠んだものとしてはシベリア収容を題材とした窪田章一郎の「バイカルの湖に立つ蒼波のとはに還らじわが弟は」、1960年代の学園闘争下の情景を詠んだ福島泰樹「一隊をみおろす 夜の構内に三〇〇〇の髪戦(そよ)ぎてやまぬ」などがあるが、中で私がベスト・ワンに挙げたいのは皇后美智子の「帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず」だ。東日本大震災被災者に思いを致したこの歌、平成24年の歌会始で詠まれたということだが、その思いの深さには心打たれるものがある。

百人一首」ということで、声に出して読むことを前提に歌が選ばれているのも特徴だ。思えば短歌というもの、黙読していても無意識に57577のリズムを取っているものであり、だからこそ塚本邦雄「日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係りも」のような破調もまた楽しめる。

佐々木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」もたたみかける「の」のリズムが効いているし、与謝野鉄幹「われ男(お)の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子」も、声に出すことでたたみかけのリズムが勢いを増す。だが音読して一番面白そうなのは、永井陽子の「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり」。世にも珍しい鏡像短歌であるが、そこに妙な切なさと情感があふれているところがスゴイ。

第二部として選者4人と壇ふみの対談も収録されており、選歌の苦労や裏話を読むこともできる。まあ、どの100人を選び、それぞれについてどの歌を選ぶかというのは、これはもう「趣向」というものであり、極上の「遊び」なのであるから、これはもう外野がああだこうだと言うのはヤボというものだろう。自分の「好み」を発見する場として、読み手は読み手で存分に楽しめばよろしい。それだけの幅の広さを、近現代短歌はもっている。だいたい、次のような短歌だって選ばれているのだ……面白い、でしょ?

ボケ岡と呼ばるる少年壁に向きボール投げをりほとんど捕れず(島田修三

そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまへのままがいいから(小島ゆかり

ハロー 夜 ハロー 静かな霜柱 ハロー カップヌードルの海老たち(穂村弘