自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1594冊目】アダム・スミス『国富論』

国富論〈1〉 (中公クラシックス)

国富論〈1〉 (中公クラシックス)

国富論〈2〉 (中公クラシックス)

国富論〈2〉 (中公クラシックス)

国富論〈3〉 (中公クラシックス)

国富論〈3〉 (中公クラシックス)

国富論〈4〉 (中公クラシックス)

国富論〈4〉 (中公クラシックス)

言わずと知れた、経済学の出発点となった古典。「教科書に出てくるけどあまり読まれていない古典」としても有名?だが、まあ、今の世の中で読まれない理由はなんとなくわかる。

とにかく長い。そして細かい。一つの主張、ひとつの批判について、論拠となるエビデンスをこれでもかと並べ連ねるので、正直読んでいて辟易する。ひとつのトピックについてあまりにも長く触れられているので、そもそもどういうことを言おうとしているのかが、読んでいるうちにだんだん分からなくなってしまうことも(私の場合)多かった。

だがやはり、この本は超重要な基本文献だ。とにかく、「カネ」と「モノ」と「ヒト」で世界を記述した、というところが画期的だ。それまでは、政治とか宗教といったファクターで、つまりは「国家」を中心に世界は記述されていたのだから。

そして、この「カネ」「モノ」「ヒト」(めんどくさいので、以後「経済」と略する)の複雑きわまりない相互作用のありようを知ったからこそ、有名な「見えざる手」の話が出てくる。要するに、内部の構造も分からんのにヤミクモに手を突っ込むな、ということなのだ。だからこそ、奨励金や戻税などの、産業分野への作為的な国家介入は本書ではとことん批判されることになる。このあたりは、大陸の理性主義とは違うイギリス流の経験主義の流れも影響しているのだろう。

ただし、だったら自由の名のもとにいかなる不平等も許されるかというと、そういうことではない。スミスはこう書いているではないか。

「どんな社会も、その成員の圧倒的大部分が貧しくみじめであるとき、その社会が隆盛で幸福であろうはずはけっしてない」(第1巻p.143)

「労働の豊かな報酬が支払われると、低い階層の人々は子供たちによい衣食を与えることができ、その結果、多数の子供を育てることができるようになるから、増殖に対する限界は自然に広げられ、また引き伸ばされるようになる…(略)…もしも、こうした需要(労働に対する需要)がたえず増加するならば、労働の報酬は必然的に労働者の結婚と増殖を刺激して、たえず増大する需要を、たえず増大する人口によって満たすことができるようになるにちがいない」(同p.145)

政府の少子化対策は、アダム・スミスに学ぶところから始めるべきですな。女性手帳なんか作っているヒマがあったら、まず非正規雇用と低賃金の問題を何とかしなければならんのだ。

もっとも、スミスは労働の報酬は需要と供給のバランスの中で自然に調整されると考えており、政府による賃金統制を想定しているわけではない。また、社会福祉という概念もこの時代にはまだまだ生まれておらず、現代の発想をそのままあてはめることはできないことは当然であることを書き添えておく。

というより、この発想が出発点になり、スミス流の「見えざる手」が思っているほど完全ではないことが分かってきたため、それを補うものとしてマルクスエンゲルスが登場し、あるいはケインズが出てきたのであって、そもそもこうした経済による世界把握の仕方は、やはりここに始まったのだ。

だから、アダム・スミスは確かに「古い」かもしれないが、しかしそもそもの出発点を確かめておくという意味で、本書は読む価値がある。「見えざる手」を完全に排除することはしょせん不可能であって、われわれはその存在を前提に、その欠陥を補うことぐらいしかできないのだから。

あと、本書(中公クラシックス版)には堂目卓生氏の「人間研究の上に立つ経済学」という序文がついていて、これが全体を把握するためのガイドラインとしてよくできている。ただし『道徳感情論』の議論を本書の中にどう読み込むか、という点については、少し慎重であったほうがよいのではないか、という気がしている。

この点については『道徳感情論』を読んだ上でちゃんと考えたいのだが、現時点での考えとしては、『道徳感情論』はあくまで個々の人間の問題であるのに対して、『国富論』はやはり基本的には社会システムに対する洞察の書であると思うのだ。もちろん社会というのは個々の人間の集合体なのだから、個々の人間への洞察と社会全体への洞察がリンクしていても何ら不思議はないのだが、少なくとも本書からは、個々の人間への期待や理想はあまり感じられなかった。

むしろ個々の人間を言葉通り「利己的」な存在とシンプルに規定した上で、その利己的行動が「見えざる手」の働きによって、結果として社会全体の利益増進につながると考えたところに、本書の革命的なところがあったのではないか(だからこそ、本書でたった1回しか出てこない「見えざる手」というタームが、アダム・スミス思想全体のキーワードになりえたのではないか)と思うのだ。むしろそういう意味では、最近出ていているダニエル・カーネマンあたりの行動経済学のほうが、アダム・スミスの思想全体を根本的にひっくり返す可能性をもっているように思われる。

いずれにせよ、読み通すにはかなりしんどい本だが、現代経済学の原点を知る意味で重要な一冊。なお、スミスは政府の役割もある程度は認めており、特に税制論は参考になる。ちなみに公債(つまり国債)についてもこんなふうに書いてあって、ついニヤリと笑ってしまった。18世紀に書かれた文章とは思えないほど「現代的」ではないですか。

「国の政治に直接たずさわる者の主たる関心の的は、いつでも当面の急場を救うことである。いつの日か、公共の収入を債務から解放するという事業は、後代の人々よ、よろしく頼む、というわけである」(第4巻p.293)

道徳感情論 (講談社学術文庫) ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?