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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1573冊目】清水唯一郎『近代日本の官僚』

歴史・文化・民俗

明治維新から大正デモクラシーまでの日本を「官僚」に焦点をあてて描き出す一冊。ちなみに、ここで言う官僚とは当然国家公務員のほうであり、われわれ自治体職員の姿は本書にはほとんど出てこない。念のため。

官僚史なんて地味でつまらなさそうだが、いやいや、これが読んでみると実におもしろいのだ。官僚制の変遷をみることで、日本国家の統治システムそのものの形成過程が見えてくる。また、制度史をたどる一方で、個々の官僚の日記などを取り上げることで、明治〜大正期の官僚個人の喜怒哀楽にも光を当てており、これはこれで同じ公務員として楽しみつつ、いろいろと身につまされた。

幕藩体制明治政府に取って代わった時、行政の実務を担ったのは、維新の志士たちであり、各藩の家老級の人物であった。それまでの身分秩序にこだわらない「才能による登用」は、当時の人々には衝撃的だったようだ。

さらに、藩の重鎮から下級武士までが混ざり合ったこの「維新官僚」たちは、当然ながら藩主ではなく直接新政府に仕えたのだが、そのことも当時としては画期的な転換であったという。藩と幕府という当時の統治構造が、これによって根本的に崩れ、明治中央集権政府に移行したのだ。

もっとも、こうしたやり方ではどうしても玉石混交になり、また「旧知縁故の人脈を頼った情実人事が横行し、無能な官僚が大量に政府に寄生」(p.149)する結果も生まれていた。

そこでドイツに外遊した伊藤博文が、現地でシュタインに学んだ官僚制度を日本に適用していく。それが「高官については君主が自らの股肱の臣を登用」する一方「事務官は一定の教育を受け、試験に合格した者を用いる」というもの(その前段として、大学での専門教育をほどこす)。この、行政ピラミッドの上部を政治任用、それ以外を試験任用という二段構えのやり方が、今後の日本官僚制のスタンダードになっていく。

こうして試験制度が導入され、制度上は誰もが官僚になる道が開かれたことになる。興味深いのは、このことを著者が、国民の政治参加の一種と捉えている点だ。自由民権運動が立法を通じた政治参加の途であるように、官界の門戸が開かれたことは、行政を通じた政治参加の拡大であった」(p.166)と著者は言うのである。

このあたりは、現代からみるとちょっと意外な視点にも感じるのだが、しかしそれまでは、身分制度の中で限られた人間しか行政プロセスに参加できなかったことを考えれば、なんとなく実感として、当時の青年たちの気分もわからないではない。実際問題として金銭面を含めむずかしい面はいろいろあるにせよ、とにかく可能性としては「誰でも官僚になれる」ようになったのである。なお、このあたりは、中国の科挙制度の影響を思わせるものがある。

科挙と言えば、明治政府によって導入された試験は相当の難関だったらしく、合格者だけでは到底必要人数を満たさなかったらしい。ただ、ちょっとズルイと思うのは、一般には難関試験を課しておいて、一方で帝国大学をはじめとする一部の学校の卒業生には、面接以外の試験免除が認められていたという点だ。

とはいえ、案の定この特例も後日改められ、帝大卒業生だろうが誰だろうが、共通の試験(高等文官試験)を受けることになった。もっとも今度は「入口」を厳格化しすぎたため、かえって中途採用や民間からの登用が難しくなり、官界の孤立につながった、と著者は指摘している。このあたりの官民の壁の高さは現代にも通じるものがあり、なかなかに難しい。

その後も政治の変化や混乱のなかで、官僚制度もさまざまな影響を受けてきた。今でもそうだが、政治と行政は、特に官僚のトップのレベルではそれほど別々のものではなく、現に官僚から政治家への転身は今も昔も非常に多い。もっとも、今はどうか知らないが、当時の官僚が政治の世界に身を移していったのは「自分たちこそが憲政を完成させる」という理想があったためでもあるという。

それにしても本書を読むと、この頃に作られた官僚制度の枠組みが、平成のいまの世になんと多く残っていることかと驚かされる。採用試験や採用前の官庁まわり、次官をゴールとする出世レース、省庁間対立とセクショナリズム、政治家と官僚の関係など、ほとんどがこの時代に生まれた「仕組み」であり「習慣」なのだ。

さらに、点数至上主義とエリート志向のゆがみまでも、この頃からの名残であるようだ。今も昔も、こういう奴がエリート官僚になるらしい。

「一高生の特別な位置は時に彼らを居丈高にし、粗暴で人間修養に欠けるとの評価を生んだ。同時に、若くして競争を勝ち抜いた成功者であり大きな失敗を体験したことのない彼らは、ふとしたきっかけから煩悶の淵に陥ることも多かった。なんとも難しい存在である」(p.323)


本書の記述はおおむね大正デモクラシー期で終わっている。先ほども書いたように、官僚制自体の枠組みもその頃までにほぼ完成しているようなので、「近代日本」の官僚制史としてはこれで良いのだろう。個人的には、できればこの続き、特に二・二六事件から戦後の占領期あたりまでの官僚制の流れがどんなふうだったのかが気になった。続編を期待したい。

それにしても、こういう「地味」なテーマをこれだけ丁寧かつ緻密に、しかし流れをもって書ける方はなかなかいない。政治史の大きなフレームと、個々の官僚の手記を中心としたミクロの部分のバランスのとり方もお見事だ。なかなかの手腕であり、しかもまだお若い様子。今後の著作が楽しみな学者さんが、また一人増えた。