自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1571冊目】マグダ・オランデール=ラフォン『四つの小さなパン切れ』

四つの小さなパン切れ

四つの小さなパン切れ

家畜用の貨車に詰め込まれ、三日間の旅をした。降りるとすぐ、一人一人が右と左に分けられた。一緒にいた母と妹は左、著者は年齢を18歳と偽ったら、右と言われた。

左に行った人々は、そのままガス室に送られた。アウシュヴィッツの煙突から立ち上る煙だけが、命の痕跡。

囚人のパンを搾取してきれいな服をあがなった班長がいた。以前は囚人だった人だった。人のパンを盗んで食べる人もいた。それを見てうらやましさを感じる自分がいた。

黴だらけの四つの小さなパン切れを分けてくれた瀕死の囚人がいた。靴を失った「わたし」に、こっそり木靴をくれた看守もいた。闇は深かった。だが、だからこそほんのわずかな光が、とてつもなく輝いて見えた。

何人もの囚人が、自分たちの衣服をつなげてロープ代わりにして、仲間同士で助け合って首を吊った。「わたし」も死を想った。労働で赴く湖のほとりで、死を願って湖面を見つめた。でも、見知らぬ修道女がこう語りかけた。

「生きることを信じよう。絶望を払いのけよう。わたしたちのあいだに友情を育てよう。わたしたちの力を集めよう。勇気を失ってはいけない。弱い人はここでは生きていけない。わたしたちは生きのびなければならない。わたしたちには生き証人が必要なのよ」(p.52)


アウシュヴィッツから生還したマグダが重い口を開くまでには、30年もの年月を要した。本書の前半部「時のみちすじ」が刊行されたのは、1977年だ。でもその後は、学校でも収容所体験を語った。その内容が本書の後半部「闇から喜びへ」のもとになった。

言葉を語らなかった人の言葉は、重い。しかも、そこにはふしぎな純化がある。

すさまじい経験そのものより、マグダはそこから得た人生についての見方を語る。収容所経験がマグダの中でいわば濾過され、蒸留され、ほかのさまざまな経験とも結びつき合い、他の誰にも語れない言葉になった。

本書の言葉はどれも静かだ。静かだが、おそろしく透徹しており、同時に陽だまりのようにやわらかい。言葉は静かに心の中に入っていくが、そのまま深い深いところまで沈み、浸みとおる。

心に刺さるのではなく、心を包む言葉。

特に、人生への見方は衝撃的。ギリギリの体験をした人にしか言えない、ぞっとするような凄みがある言葉。例えば、こんなふうに。

「人生について考えることは、人生を生きることだろうか? それは考えたとおりになるものだろうか? わたしは経験を積んできた。ありのままの人生を見た。人生は条件法で生きるものではないことを知り、現在形で、しかも単数形で生きるべきものだということを知った。人生を築くということは、自分の人生についてこうありたいという望みを捨てることだ。人生のなすがままになるということだ」(p.149)


今という瞬間こそが人生なのだ。存在の喜び。その時の世界の美しさ。マグダはアウシュヴィッツを「生きる」ことで、本当に生きることを知った。われわれは、彼らに比べて、今を生きられているだろうか?

本書は詩のような一冊だ。実際の詩もあるし、個々のエッセイのような文章も、どこか詩のリズムをそなえている。

過剰な装飾はない。押しつけがましさなど微塵もない。でも、それでいて忘れがたい。まっすぐの姿勢で読めば、心の奥底にストンと落ちる。その辿りついた深度は、フランクルの『夜と霧』に匹敵する。

永く、読み継がれてほしい一冊。