自治体職員の読書ノート

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【1562冊目】『自選 谷川俊太郎詩集』

自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)

自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)

一人の人間のつむぐ言葉が、こんなにひろく、ふかく、たのしくてよいのだろうか。

詩集なんてめったに読まないのだが、谷川俊太郎は特別だ。最初は絵本から入った。永遠の名作『もこもこもこ』『あな』。レオ・レオーニの『フレデリック』や『スイミー』の翻訳。そこからマザー・グースの名訳に入った。子供の頃、レコードで聴いていた谷川訳のマザー・グースは傑作。今は、わたしの子供たちがCDで聴いている。

『ことばあそびうた』もすばらしかった。背伸びして読んだ『二十億光年の孤独』は胸にずしりときた。パウル・クレーの絵とのコラボレーション『クレーの絵本』も絶品だ。例えば、こんなの。

 かわりにしんでくれるひとがいないので
 わたしはじぶんでしなねばならない
 だれのほねでもない
 わたしはわたしのほねになる

 (「死と炎」より)


なんというさびしさ。なんという孤独。そういえば、最初の詩集も『二十億光年の孤独』だった。宇宙大の孤独から、谷川俊太郎ははじまったのだった。

 万有引力とは
 ひき合う孤独の力である

 宇宙はひずんでいる
 それ故みんなはもとめ合う

 (「二十億光年の孤独」より)


それにしてもこの人、なんでこんなにさびしく、孤独なのか。その一端は、本書の解説に書かれた谷川俊太郎の生きざまからも感じとれるだろう。ピュアでナイーブで、きまじめで他人思い。そんな人が、この世の中で孤独にならないわけがない。でもそのことは同時に、谷川俊太郎が子供の感情のやわらかさと遊びごころを、生涯持ち続けることができているということでもある。そうでなければ、たとえば、こんな詩は一生かかってもつくれない。

 かっぱかっぱらった
 かっぱらっぱかっぱらった
 とってちってた

 (「かっぱ」)

 いもくって ぷ
 くりくって ぼ
 すかして へ
 ごめんよ ば

 おふろで ぽ
 こっそり す
 あわてて ぷ
 ふたりで ぴょ

 (「おならうた」)

言葉の選び方が、おそろしく周到で怖いくらいだ。かんたんな言葉ばかりなのだが、ひとつとして不用意に置かれることはない。まちがいのない居場所を得て、言葉が流れ、泡立ち、跳ね、飛ぶ。まるで、大好きなモーツァルトの音楽のように。

 モーツァルトのケッヘル六二二のクラリネット協奏曲
 第二楽章アダージョが聞こえている初秋の午後
 若い彼らは完璧な幸せがもたらす悲しみに
 それと気づかずに浸っている

 (「魂に触れる」より)


おもしろいのは、その周到さが最初ははっきり感じられるのに、書かれた時期が下るにつれて(本書はほぼ詩集の発表順に詩が並んでいる)、いかにもむぞうさに言葉が置かれているような気がしてくることだ。でもそれが、むぞうさなのだが、なんだか妙にぴたりとはまっている。名人の振るう鑿が、むぞうさに見えても、これ以上ないほど的確に木をえぐるように。

楽しい詩から、怖い詩まで。わらべうたから、前衛的な実験詩まで。谷川俊太郎のミクロコスモスを文庫本一冊に封じ込めた決定版。読まなきゃ、そんそん。またきて、あした。

マザーグースのうた(2) ことばあそびうた (日本傑作絵本シリーズ) 二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9) クレーの絵本