自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1553冊目】中村元『原始仏典』

原始仏典 (ちくま学芸文庫)

原始仏典 (ちくま学芸文庫)

日本の仏教は分かりにくい。インドから中国を経て日本に伝わるその過程で、仏教はずいぶん変容してしまったからだ。大乗仏教が、日本人が初めて知った仏教だった。しかしそれは、仏教としては「途中から」その歴史に参加していることになる。

だからというわけではないだろうが、仏教自体になんだか分かりにくいイメージがつきまとう。特にあの「お経」のわけわからなさは、どうか。ほとんどの日本人にとって、仏教とのファースト・コンタクトは、通夜や葬式でお坊さんがあげるお経であろう。子供の頃、親戚の葬式で退屈極まりない意味不明のお経をじっと聞いていなければならないという「苦行」を課せられたことで、仏教そのものへの抹香臭いマイナスイメージが植え付けられてしまったのは、私だけではあるまい。

そんな不幸な「初体験」で仏教アレルギーになってしまっている方は、中村元氏の訳した『ブッダのことば スッタニパータ』や『ブッダの真理のことば・感興のことば』を読むと良い。そこに並んでいる言葉の、あまりの分かりやすさ、あまりのシンプルさに愕然とするはずだ。ただ、これらは基本的に箇条書きのようなスタイルなので、文脈として読み取りづらい面もある。その場合は、ブッダの教えそのものに立ち返って、ブッダの生涯に沿って著者が語った本書をオススメする。

本書は『原始仏典1 釈尊の生涯』『原始仏典2 人生の指針』の2冊が合わさったものだが、どちらもブッダの言葉をシンプルな形で記録した初期の経典のみを取り上げ、明快に解説している。

たとえば、原始仏教の核心のひとつが「真の自分(アートマン)とはなにか」というテーマなのだが、そこでは著者はこんなふうに書く。

「仏教では、ことに原始仏教では決して我がないとはいっていないのです。アートマンがないとはいっていないのです。これがアートマンであるとか、これがわがものであるとかといって執着してはいけない、というのです」(p.234)

シンプルでしょう。要するに、問題は「自我」ではなく「我執」だと言っているのである。そしてその後で、著者はこうも書く。「人間が人間として、真の道にかなった実践をする。その主体性の中に真の自己があるわけなのです。だから自己に頼るということは、人として生きるべき道にたよるというのと同じことだと思うのです」(p.235)

これはもう宗教というより思想、思想というより生き方の問題だ。仏教のおおもとは人生論であり、生き方論だったのだ。そして、そうした考え方は、一部の国では今も決して忘れ去られてはいないという。著者はその例として、太平洋戦争の終結後、日本への賠償権を放棄したスリランカ(当時のセイロン)政府首脳たちの発言を紹介している。

「戦いは終わったのだ。もはや怨みに報いるに怨みを以てすることをやめよう。この精神でセイロンは世界の平和に貢献したい」(p.224)

この「怨みに報いるに…」のくだりは、なんと初期仏典「ダンマパダ」の次の文句から来ているのだ。まさに生き方としての仏教の指針が、今に至るまで生きている好例であろう。

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」


一方、宗教という面から見ても、仏教はなかなか面白い。初期の仏教には、どこぞの一神教にみられるような排他性や攻撃性がほとんどなかったという。例えば、仏典結集を行い、初めて「公立病院」を建てたとされるマウリヤ朝インドのアショーカ王は、「岩石詔勅」にこう書いた。

「さればこそ〔各自は互いに〕それぞれのしかたによって他の宗教を尊敬すべきである。もしも〔互いに〕このように為すならば、みずからの宗教を増進せしめるとともに、他の宗教をも助けるのである」(p.375〜376)

この発想こそ、東洋的な信仰スタイルの原点であろう。実際、仏教にしてもインド哲学やヒンドゥ教、ジャイナ教などを取り込み、後には道教とも混ざり合っている。日本でも長い間、仏教と神道は「神仏習合」の間柄にあったのだ。排他的なものばかりが宗教ではないのである。

仏教途中参加者の日本人にとって貴重な、仏教を源流にさかのぼる一冊。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)