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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1535冊目】青木新門『納棺夫日記』

人類・人間・人生

納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)

映画「おくりびと」を通して本書の存在を知った人は多いと思う。私も実はその一人だ。とはいえ、本書はあの映画の原作ではないし、著者とあの映画の主人公も、似通ってはいるが、まったく重なり合うわけではない。

本木雅弘演じる映画の主人公は元チェリストで、楽団の解散により失業して納棺夫となる。一方、著者は営んでいた飲食店が倒産、いったんは文筆業で生計を立てることを考えるが(その店の客として知り合った吉村昭に勧められた、というのがびっくりだ)、そうそううまくいくはずもなく、その末に「激しい夫婦喧嘩の折、妻がわめきながら投げつけた新聞の求人欄」を見てこの世界に飛び込んだ。そこでの日々を綴った本書が、結果として世に出ることになるのだから、人の人生はわからない。

本書は単なる日記ではない。随筆のような、あるいは詩のような、ふしぎな独特の風情がある。日常的に死に触れ、死を考える中で到達した独自の死生観が、きわだって透徹したかたちで示されている。特に第3章では、宗教と結びつけて著者の死生観が開示されているのだが、それも著者の実体験という「根」をもっているだけに、空理空論にならず、きわめて説得力のあるものとなっている。著者自身、「『納棺夫日記』を著して」という本書に収められている文章で、そのことをこう書いている。

「りんごを分析し詳しく解説できても、りんごを食べたことがなければ、その味は分からない。たとえ分かったとしても、理屈では伝わらない。しかし世に言うエリートはしたり顔で伝えようとするのである」(p.201)

そういえば、まるっきり同じことを、マンガ『家栽の人』で桑田判事が言っていたなあ。

さて、日々「死」に直面する著者の目に映るのは、誰もがいずれは相対するはずの死を忌避する社会の不幸である。「死を忌むべき悪ととらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが必ず死ぬという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである」(p.39)

この点については、解説を書いている高史明氏が、非常に的確な説明をされているので、続けて引用したい。

「思えば、人間の生とは、死と一つなのであった。死のない生はなく、生と無縁な死もない。人間の生とは、本来“生死”といわれてよいのである。にもかかわらず私たちは、戦後いま一度、この”生死”を生と死に引き裂き、またしても死に背を向けてゆくことを、生への道としたのであった。この生の追求は、まさに虚構の生の構築だったともいえよう。私たちは今なお、真の”生”とは出会っていないのである」(p.217)

しかし、現実に私たちが常に「死」を意識しながら生きることは難しい。そもそも「死とは何か」という人類の究極問題が、そこには立ちはだかっている。当たり前の話だが、死んだことがない以上、われわれ生者には「死ぬまで」死の正体を正味のところで知ることはできない。

本書はこの点についても、大きなヒントを用意してくれている。それは、たとえばガンで余命宣告された人が、世の中のあらゆるものが光って見える、というような体験である。この光に出会うと「生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな清らかな気持ちとなり、すべてを許す気持ちになり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれでる状態になる」(p.117)らしい。

面白いのは、著者がこの「ひかり」を仏教における「悟り」に結び付けていることだ。人は死に臨することによって、いわば一足飛びに菩薩の境地に至るというのである。

いや、むしろ正確には、修行や苦行というものは、それによって死に近づこうとする人為的な試みである、というべきなのかもしれない。死に直面した人の「悟り」こそが本来で、それを人工的に作り出そうとしているのが修行なのかもしれないのだ。

そうやって考えると、なんだかいろんなことに筋がとおってくる。死に直面してこうした境地に至った方はたいていすぐ亡くなってしまうためこの境地を人に伝えることができず、修行や瞑想によってこの境地に至ったブッダは、その後も生を永らえることができたため、ああした形で悟りの境地を人に伝えることができたのだ。

むしろ問題は、現代の「死」はほとんどが病院で、さんざんな延命治療の末に訪れるものだという点であろう。そこでは「死」に直面して心の準備をするなどということ自体がタブーであり、医者も親族も生にひたすら執着し、患者が死を受け入れるのを許さない。

果たしてそのような状況で訪れる「死」はまっとうなものなのだろうか。生と死の本来に立ち戻って、しっかり考えなければなるまい。本書はそのための足がかりとなる得難い一冊だ。「おくりびと」は観ていなくても、本書は読んでおきたい。それにしても、いったい誰が、いつから「死」をこんなふうにタブーにしてしまったんだろうか?

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