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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1524冊目】岩井寛・松岡正剛『生と死の境界線』

人類・人間・人生

生と死の境界線―「最後の自由」を生きる

生と死の境界線―「最後の自由」を生きる

「なぜ、われわれはこれから死んでいく者の声に耳を傾けなくなったのだろう」(p.326)

本書の中で、聞き役の松岡氏が、ふとこんな言葉をつぶやく。「死」を隠蔽し、見て見ぬふりして生きているワタシにとって、この問いはズシリと重い。

人間であることの死亡率は、100%。だが、誰もが知っているはずのこの冷厳な事実に向き合うには、相当の勇気と覚悟が必要だ。なぜならその瞬間に「死とは何か」「死んだら人はどうなるのか」という永遠の疑問が立ち上がってくるからだ。

もちろん、本当の意味でこの問いに答えることは、いまだ「死んでいない」われわれには不可能だ。しかし、生と死の境界線ギリギリに迫り、そこから言葉を発することなら、できなくはない。それが医学と心理学に精通し、自身の心を客観的に観察することのできる精神科医であれば、「報告者」としてはベストだろう。

本書は日本における森田療法の第一人者で、トップレベルの精神医学者であった岩井寛が、ガンに全身を蝕まれながら、死ぬ間際まで語り続けたその記録である。インタビューを行ったのは、かの松岡正剛。やや意外な組み合わせだが、岩井氏自身が松岡氏を聞き手に選んだという。

フタを開けてみれば、松岡氏のインタビューは絶妙だ。私はこの手のインタビューを読むとき、自分だったら次にどんな問いを発するだろうか、と考えながらページをめくるのだが、これほど「かゆいところに手が届く」過不足のないインタビュー術はなかなかお目にかかれない。細部への入り方、話題の転換の仕方、そして何より相手へのリスペクト。いずれも見事である。

そして、その問いに引きだされるようにして語られる、岩井氏の「生と死のあわい」からの報告は、壮絶の一言。特に、激痛にさいなまれつつも意識を明瞭に保つことを最優先する岩井氏の姿勢からは、生きることの意味を根底から考えさせられる。

岩井氏にとって生きるとは「意味の実現」であるという。自分自身の意味を持つことが、すなわち生きること。この確信は、最後の最後までまったくゆらぐことがない。だから痛みを和らげる治療法を勧められても、それが意識を混濁させるものであれば、岩井氏はそれを敢然として拒否する。

インタビューの内容は岩井氏の送ってきた複雑な半生について、専門分野である精神医学や森田療法について、エロスとタナトスについて、日本文化論について等々多岐にわたる。どれも読みごたえがあるが、圧巻はまさに末期の聞き取り、死に直面し、激痛にさいなまれる中での、とぎれとぎれの言葉である。生そのものを絞り出すような言葉に、それまでどうにか答えと問いをつなげてきた松岡氏もついに絶句する。

そこはすでに言葉を超えている。まさに「生と死の境界線」にいる者しか語れない領域だ。そのギリギリの「キワ」を捉えた本書のインタビューは、まさに人が語りうる限界に達しているといえるだろう。

「……死の世界からいま生きている世界を見つめたときに、やっぱりそこにわれわれは、生きている意味というものを何らかの形で求めざるをえないということになってきますよね。
 そうした場合に、じゃ「意味」とは何かといえば、それぞれの人によってみんな違うんでしょうけど、それの終局というのは、一つは時間、空間を含めた真実であると思うし、それから人間の意識を通して見た場合には、苦悩を含めた自由であると思うわけです。それが人間としてどこまで全うできるのか。それによって「空無の世界」に入り方が多少は違ってくると思うんです。それをより可能に、より実現できたときには、「空無の世界」に安心して入れる」(p.214〜215)