自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1518冊目】ホメロス『オデュッセイア』

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫)

どんな小説も物語も、それ単独で生まれ出たものはない。必ずそこには「原型」があり「元ネタ」があり「祖先」がある。

では、その系譜をひたすら過去にさかのぼっていくと、どうなるか。おそらく、行き止まりに近いところでぶちあたるのが、神話や伝説の世界だろう。日本なら日本神話、インドなら最古の物語とされるギルガメシュ伝説、ヨーロッパなら、北欧神話ケルト神話、そしてやはりギリシア神話。本書やその姉妹編『イリアス』は、まさにそのギリシア神話と人間の歴史の「境目」に位置する物語。神話・伝説から物語への「位相の変化」は、まさにここにはじまったのだ。

実際、本書では(『イリアス』もそうだが)ギリシア神話の神様がバンバン登場する。もちろんゼウスやアテナ、ポセイダオン(ポセイドン)などのギリシア神話の神々だ。しかもこの神様方、実はめっぽう人間臭い。

神々はオデュッセウスの旅にやたらに介入する。何しろオデュッセウスといえば知謀にたけた策士ということになっているのだが、その知謀さえ「智略に富むアテネが、わしの胸にそれを思い付かせて下さる時には…」(下巻p.106)なんてセリフがしれっと出てくるように、女神アテナが「授ける」ものなのである。

しかもオデュッセウスが気付かれたくない時には神が相手の気をそらしてくれるし、オデュッセウスに射かけられた矢は神が払い落してくれる。それはもう遠慮会釈も何もない肩入れぶりなのだ。そりゃ負けるわけがない。

本書は上巻がかの有名な海上の冒険譚、下巻は妻ペネロペイアに言い寄る求婚者たちをいかに退治するかという策略の話となっている。上巻では、一つ目巨人キュクロプスや歌で船乗りを惹きつけるセイレンなど、ファンタジー小説の原型となっているエピソードがゴロゴロ出てくるので、この種の小説のファンとしてはこたえられない。「冥界下り」のような、その後の多くの作品(「神曲」とか「ファウスト」とか)で見られるモチーフも、ここで始まったことが分かる。

ちょっと意外だったのは、こうした活劇譚がリアルタイムで綴られるのではなく、オデュッセウスがアルキオノス王らに語る物語の中身として書かれている点だ。単純な時系列ではなく、なんとこの時代の物語にして、すでに入れ子型になっているのである。

そして、後段(下巻)は丸ごとが、妻への求婚者をやっつけるための陰謀の話。夫の留守宅(というか、夫が生死不明なのだが)に居座って乱暴狼藉を繰り返す求婚者が50人以上というのもスゴイ話だが、そこに乞食に変装して紛れこんだオデュッセウスが、延々陰謀を巡らすというのもずいぶん回りくどい。

どうせ最後は神の力を借りて力で叩き伏せるのだからいきなり正面突破でもよさそうなものだが、いやいや、この最終決戦に至るまでの延々とした「じらし」こそ、かの水戸黄門にまで連綿と続く物語の黄金パターンなのだ。しかも、わりとサクサク進む前半の海上冒険譚より、後半の乞食に化けたオデュッセウスが、ねちっこく求婚者たちを追いこんでいくくだりのほうが、実は読んでいて面白い。

なんといっても3000年前の作品であるから、修飾の仕方や強引な神の介入などいろいろ気になる点はあるが、それを上回る物語としてのパワーをもった一冊である。さすがに3000年間生き延びてきただけはある。

そして、冒頭でも書いたように、まさに本書こそ世界中の物語の源流のひとつ、いわば物語の「イブ」なのだ。小説好き、ファンタジー好きの方は避けて通れない本である。