自治体職員の読書ノート

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【1509冊目】カルロス・カスタネダ『ドン・ファンの教え』

ドン・ファンの教え (新装版)

ドン・ファンの教え (新装版)

この間読んだ『気流の鳴る音』(真木悠介著作集)ですごく気になった本。もともと『呪術師と私』というタイトルで刊行されていたが、最近になって新装された一冊だ。

著者カスタネダは、カリフォルニア大学で人類学を専攻していた1960年に、メキシコ・インディアンでヤキ族に属するドン・ファンという人物に出会う。「植物についてよく知っている」という触れ込みのドン・ファンは、実は周囲の人々に「ブルホ」と呼ばれていた。ブルホとは秘密の知をもつ者であり、とてつもない力の持ち主という意味が込められていた。

カスタネダドン・ファンの弟子となり、さまざまな植物を用いた呪術を通して超越的な体験を繰り返す。そこにあったのは「もうひとつの世界」であり「もうひとつの現実」であった。厳密に定められた手順に従って不思議な植物を扱うことで、カスタネダは空を飛び、現実にはありえないような知覚を得る。非常に浅薄に言ってしまえば、本書は「天然のドラッグをやればどういう経験ができるか」の手引書ともいえるかもしれない。

1968年に刊行された本書は、実際当時のヒッピーたちにもてはやされ、LSDなどのドラッグ体験を絡めた一種のムーブメントになった。だが本書は、実はそれだけの本ではない。むしろ私が読んで興味を惹かれたのは、ヤキ族の知者ドン・ファンの中に広がっている、メキシコ・インディアンの深い深い叡智だった。それはある種東洋的な叡智にも通じるものがあり、特に禅と非常に近いものを感じた。

その内容は西洋合理主義とははるかに離れたところにあり、その意味で、西洋合理主義にどっぷり浸かったカスタネダ自身があまり理解できていないのもやむを得ないかもしれない。

本書のとても「良くない」ところは、せっかく第1部がドン・ファンの肉声を伝えているにも関わらず、第2部でそれを「構造分析」することで、いわば活きた知を切り刻み、殺してしまっているところだ。渾沌に目鼻をつけてはいかんのである。ダグラス・スミスはその点について、本書を「最良のテーマについて書かれた最悪の本だ」と評したというが、第2部についてはまったく同感だ。

私自身、ドン・ファンの教えを理解できているかと問われれば全然理解できていないと思うのだが、それでもドン・ファンの言葉が、西洋流の二元的思考や合理主義的思考では語りえないことを語っていることくらいは分かる。カスタネダがたびたびドン・ファンに「おまえはわかっちゃおらん」式にお叱りを受けているのも、せっかくいろいろな体験をしているのに、それを自分がもともと持っている「枠」の中でしか理解できていないからなのに、結局第2部になってみると、ああ、カスタネダは最後まで理解できなかったのね、ということが分かってしまうのである。

本書はドン・ファンの教えについてカスタネダが記した「初期4部作」の一冊目に過ぎないのだから、この時点でこんなことを言ってしまうのは早計かもしれないが、正直な印象としては、これだったら真木悠介氏のまとめ方の方がはるかに的確だし、語りえないところは語りえないままに、そのエッセンスをしっかりつかみ取っているように思う。ドン・ファンの叡智そのものの深みにまで降りていきたい私としては、実際のところドラッグ体験にはそれほど興味は無いし、だったら『気流の鳴る音』一冊で十分なんじゃなかろうか、という気もする。

気流の鳴る音 (定本 真木悠介著作集 第1巻)