自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1507冊目】五木寛之『親鸞 激動篇』

親鸞 激動篇 上

親鸞 激動篇 上

親鸞 激動篇 下

親鸞 激動篇 下

以前読んだ『親鸞』は、どうやら前座に過ぎなかったようだ。本書は続編。いよいよ物語は佳境に入り、越後から関東に渡りつつ名を高め、一方で葛藤を深めていく親鸞の姿が描かれる。希代の宗教者、親鸞の形成過程を砂かぶりで見られる一冊だ。

前作同様、アウトサイダーの河原者たちや、ダースベーダーみたいな「悪の権化」黒面法師も登場するが、だからといって単純な勧善懲悪の物語ではない。もっと複雑に入り組んでいる。今後は「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という親鸞思想の真骨頂が、この黒面法師を通じて描かれることになるのだろう。本作ではそこまではまだ達していないが、それでもクライマックスの親鸞と黒面法師の問答には鬼気迫るものがある。

本書に登場する親鸞は、前作同様、悩み苦しむ弱い人間としての姿を残している。父親になっても素直に喜ぶことができず、子供にも懐かれず「自分は肉親の情がないのではないか」と悩み、煩悩や欲望を抑えきれない自分に絶望する。

しかし、本書の親鸞はそうした迷いや悩みや苦しみ、おのれの奥底にある煩悩や欲望を、苦しみの中で見つめ抜く。外面だけの名僧になろうとするのではなく、おのれ自身を決してごまかさない。そうした姿勢を貫くことによって、思想や言葉の内実が、知識だけでは身にまとうことのできないような厚みを帯びてゆく。

人々に念仏について、仏法について語るときも、親鸞は謙虚である。わからないことはあっさりと「わかりません」と言い、自分が悩みと苦しみの中でつかみとった言葉だけを丁寧に連ねてゆく。決してもっともらしい借り物の言葉を使わないのが素晴らしい。だからこそ、決して弁の立つ存在ではないのに、親鸞の話は人々の心を打つ。

そして、本書では親鸞の妻、恵信の存在感が飛び抜けている。決して余計なことは言わないが、すべてを承知し、すべてをその視野に収めている。親鸞よりよほどどっしり構えているし、心の芯棒がぶれずにぴんと立っており、その言葉には決して間違いがない。その行動も見事なもので、特に外道院との対面の場面では、膿だらけで悪臭を放つ重病人を洗い清めるのに、自ら裸になって共に風呂に入るシーンは後光が射してみえた。

さて、本書は親鸞が京に赴く前までを描いたものだが、ラスト近くでは歎異抄の著者とされる唯円も登場し、いよいよ役者は揃った感がある。京にのぼった後の親鸞はどうなるのか、黒面法師との最後の対決はあるのか、第三弾を楽しみに待ちたい。