自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1505冊目】秋吉貴雄・伊藤修一郎・北山俊哉『公共政策学の基礎』

公共政策学の基礎 (有斐閣ブックス)

公共政策学の基礎 (有斐閣ブックス)

公共政策学の入門書。学生向けのようだが、「公共政策学」という学問分野があることさえ知らなかった不勉強な自治体職員(私のことです)こそ読むべき一冊。

なぜなら、本書は実務をある程度知った上で読むと面白い。普段やっていることの意味やどこが足りないのか、あるいは政策の形成プロセスとは本来どういうものなのかが俯瞰的に理解できる。

冒頭で「inの知識」「ofの知識」という区別が紹介される。政策科学の始祖とされるラスウェルの言葉らしいが、公共政策の「中身」にあたるのがinの知識であるのに対して、プロセスに関するものがofの知識。この区別を知ることが、本書全体を読み解く補助線になってくる。

そもそもなぜラスウェルがこうした区分を行ったかというと、それまでの政策科学は中身の議論が中心で、特に政策分析による知識が重視されたという(p.21)。しかし、どうもそれだけではうまくいかないことが多い。端的に言えば、どんなにクオリティの高い政策を立案しても、それが政策決定プロセスに反映されなかったら何にもならないのである。

一方、こうしたプロセス面を中心に研究していたのは政治学であった。しかし、政治学のほうは「権力配置の解明を学問的関心の中心に置く」(同頁)ものであり、政策自体の質、つまり「inの知識」をどう活用するかという視点は乏しかった。ofの知識とinの知識を分けて考える意義は、この両者をつなげていくことで、すぐれた政策が決定され、実現することを可能にする点にあったのである。

本書はこの両方を扱っているが、中でofの知識に関するトピックでは、政策決定の前段としてアジェンダ設定というプロセスに着目したところが気になった。アジェンダとは要するに「議題」のことだが、ニュアンスとしては「土俵」といったほうが分かりやすいかもしれない。個々の公共政策が決定されるためには、まずそもそも検討の土俵に乗らなければ話にならないからだ。

この、個々のテーマを検討の土俵に乗せることを「アジェンダ設定」という。ここに乗ることで、初めて課題が課題として認知され、政策決定に至る可能性が出てくる。これを逆の面からみると、利害関係者にとっては、都合の悪いテーマをアジェンダに乗せないという「戦略」が出てくる(これを「非決定」という。p.58)。

本書では、非正規雇用の増加に対して「自己責任」とする言説を、こうした例として挙げている(利害関係者は雇用者である企業側や人材派遣企業)。つまり、本書の言い方にならえばアジェンダに着目する意義は、何が決定されるかだけでなく、何が決定されないかにいかに注意を向けるところにある」(同頁)のだ。

この視点はたいへん重要だと思う。われわれは得てして、アジェンダに乗り、マスメディアに注目されたテーマだけを解決を要するテーマとして認識してしまう。しかし、どんな場合でも同じだが、大切なのは「目に見えない部分」なのだ。また、社会問題を解決にもっていきたい立場であれば、まずは社会的な注目を浴びることで、その問題をアジェンダに乗せることに注力しなければならないことも、ここから読み取れるだろう。

本書は「inの知識」に関する解説も充実している。特に「平等」「公平」「合理性」「利益」といった概念そのものを深く掘り下げているのが興味深い。やや抽象的と感じられるかもしれないが、こうした部分こそもっとも人によって認識のズレが生じやすい部分であり、もっとも共有するのが難しい部分なのだから、ここはやはりしっかり考えておくべきところなのである。

たとえば、第7章「政策決定と合理性」では、アメリカのジョンソン政権が1960年代に導入したPPBS(Planning Programming Budgeting System)がわずか3年で廃止された理由を考察している。これはいわば体系化と合理化を極限まで推し進めた方法であったのだが、こうした合理性の追求そのものに多くの批判が浴びせられた。

中でも重要と思われるのは「政治への無理解」(p.145)であろう。「PPBSの中核にある費用便益分析では社会全体の費用と便益という観点から判断が行われるが、政治的意思決定の場では「誰に」ということが非常に重要なのである」(同頁)。一義的に「科学的に正しい」政策を自動的に生み出そうという発想はいかにもアメリカ的合理主義だが、当のアメリカでもそんなことは現実化できなかったのだ。

他にも気になったトピックは山ほどあるのだが、書き切れないのでここまでにしておく(備忘のためにメモっておくと、政策決定プロセスの「拒否点」の存在を指摘したインマーガットの研究(p.174)とか、実施段階から逆算して政策形成をしていくエルマーの「バックワード・マッピング」(p.215)などはとても気になった)。

地方自治体の政策波及プロセスや国と自治体の関係についてもかなり突っ込んだ記述がなされており、冒頭にも書いたが、われわれ自治体職員が普段やっている政策形成プロセスを俯瞰して見るには絶好の一冊。すぐ役に立つということはないかもしれないが、いざという時に使えそうな視点や発想がぎっしり詰まった道具箱のような本である。