自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1492冊目】フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』

遊戯の終わり (岩波文庫)

遊戯の終わり (岩波文庫)

幻想小説の名手、コルタサルの短編集。「ありえない感覚」に、ひたすら酔う一冊だ。

水族館で山椒魚を眺めていたはずが、いつの間にか山椒魚の目で水槽の外側の「私」を眺めている。悪夢にうなされていたはずが、いつの間にか悪夢こそが現実になっている。読んでいる小説の登場人物は、「小説を読んでいる自分自身」の背中にナイフを突き立てようとする。セーターから首が出せずにもがいている男は死を選び、演奏に熱狂した聴衆は楽団員に襲いかかり、語りかけていたはずの女はもうすでに死んでいる。

ちょっとした細部の裂け目が肥大化して全体を飲みこみ、世界をぐるりと裏返す。コルタサルの小説に「安全圏」はない。地面だと思っていたものが実は底なしの沼地であり、床だと思っていたのが実は天井だったりするからだ。動かないと思っていた世界がぐるぐる動く酩酊感に、精神が船酔いを起こす。

全部が幻想小説というワケではない。「殺虫剤」「遊戯の終わり」はちょっと切ない少年少女の日々を綴った短篇だし(なんとなくヴァレリー・ラルボーあたりを思わせる)、「旧友」「動機」などはハードボイルド調の乾いた作品。だが、やはり印象に残るのは幻想風味の強いものばかりだった。

特に忘れがたいのは、「山椒魚」。あの、「山椒魚を眺めている自分」の意識が、少しずつ「水槽の中の山椒魚」に移っていく、あの奇妙な感覚といったら……。「誰も悪くはない」の、セーターの中で悪戦苦闘する男の話も強烈だった。セーターを着ようとして、首が出なくなることって、ありません? 確かにああいう時って「ずっと首が出せなかったらどうなるだろう」という思いがよぎったりするものだが、まさかその感覚をここまでつきつめ、ふくらませるとは。

幻想短篇小説の白眉。眠れない夜に、どうぞ。