自治体職員の読書ノート

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【1477冊目】角田光代『月と雷』

月と雷

月と雷

主人公の智は女性にモテるが、なかなか結婚ができない。ある女性に結婚を持ちかけると、あなたは「ふつうの生活ができない」と言われてしまう。掃除をして、洗濯をして、ご飯をつくって食べて、という繰り返しができない、それが「こわい」と。

たしかに智は、幼いころ「ふつうの生活」をしていなかった。母の直子と一緒にいろんな土地を転々として、見知らぬ男の人になぜか拾われて一緒に暮らし、そしてまたふらりとどこかに行く。そういう日々の繰り返しだった。直子は、智が夜更かししても、歯を磨かなくても、食事代わりに駄菓子ばかり食べていても怒らなかった。

確かにそこには「生活」はなかった。

転々とする生活の中で印象に残っていたのが、子供のころ一緒に素っ裸で転げ回った、同世代の泰子という女の子だった。智は泰子を探しだし、一緒に暮らそうと考える。一緒に「だらしない日々」を送った泰子なら、と思えたのだ。

そんな唐突な思いつきをすぐ実行に移す智も変わっているが、なんだかんだ言いながらそれに同調していく泰子もヘンである。泰子もまた、結婚を前にしていたのにそれを棒に振って、智の子どもを宿し、「ふつうでない生活」に突き進んでいくのだ。

読みながらつくづく感じたのは、私自身、智や泰子、直子のような「ふつうでない生活」にどこか共振するものをもっているという事実だった。憧れる、というのではないが、ああ、私も本来は「あっち側」の人間だったはずなのに、という気がしてならないのだ。

「20代で結婚、二児の父である地方公務員」なんて、ある意味地道と平凡の王道ど真ん中の生活をしているワタシが、そんなことを誰に言ってもたぶん信じてもらえないだろうが、実は以前から、「ふつうの生活」に対して、拭いがたい場違い感を感じている。ただワタシの場合は、単に踏み外す度胸がないだけだ。だからこそ、本書の智や泰子、直子らのアウトサイダーな感覚が、読むうちにぴったり寄り添ってきた。ぞくっとした。

みんなもそう感じるのだろうか、と思い、いろんなレビューを読んでみたが、ああやっぱり、とため息が出てしまった。けっこう多くの方が、こうした生き方に強い嫌悪感を感じるようなのだ。そうか、みんな「ふつう」が良いのだ、堅実で平凡な暮らしに幸福を見いだし、そうしたものを目標に日々がんばっているのだなあ、と。

だから本書の評価はまっぷたつに分かれるだろう。智や泰子、直子の言動に嫌悪感を感じるのは「こっち側」の人間。せいぜい物珍しさをもって彼らの生きざまを眺めるだけだろう。だが「あっち側」の人間にとって、彼らの生き方や考え方は背筋が寒くなるほどのリアリティが感じられる。

自分自身の中にあって決定的に欠けている部分が、彼らの生き方とびんびん共鳴する。怖い小説である。本書に限らずこの人の小説は、そういう自分自身の裂け目のようなものを否応なく突き付けてくるから、すごく怖い。

本書は主に智と泰子の視点が交互に出てくるのだが、ラスト近く、智の「ふつうでなさ」をかたちづくった母の直子の内面が一度だけ描写される。その荒れ果てた風景のすさまじさには、さすがに慄然とした。いくらなんでも私には、あそこまでの虚無と荒涼を抱えて生きることはできそうにない。

そんな中で直子が語るセリフが、胸に刺さった。ふつうとかふつうでないとか、そういうところを遥かに超えた言葉である。なるほど、本当に「ふつうでない」生活を貫徹しようと思ったら、人はここまで思いきらなければならないのだ。ふつうでないということも、案外ラクではないのである。

「あんたね、何かがはじまったらもう、終わるってこと、ないの…(略)…はじまったらあとはどんなふうにしてもそこを切り抜けなきゃなんないってこと、そしてね、あんた、どんなふうにしたって切り抜けられるものなんだよ、なんとでもなるもんなんだよ」(p.205)