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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1474冊目】森鴎外『渋江抽斎』

渋江抽斎 (岩波文庫)

渋江抽斎 (岩波文庫)

ある意味、文学の究極形態である。

渋江抽斎という、ひとりの江戸時代の医官・考証家について、ひたすら淡々と記した一篇……なのだが、この抽斎という人物、酒はほとんど飲まず、煙草は全く吸わず、金はほとんど書物と食客(抽斎はたくさんの人を自らのもとに置いて養った)に消えたという、まあ言っちゃあなんだが面白みのカケラもなさそうな人なのだ。

遊びと言えばせいぜい劇場の平土間で楽しむくらい、あとはひたすら堅実に働き、家族を養い、書を読んでは考証する日々を淡々と送った。NHKの大河ドラマになったら(絶対にならないだろうが)、最初の10分で視聴者は爆睡だろう。

ところがこの抽斎を、かの森鴎外が史伝として書いた。それも短篇ではない。岩波文庫で約340頁にわたり、この人物の事績と生涯、家族をひたすら書いたのだ。しかもそれが「鴎外文学の到達点」と呼ばれ、かの丸谷才一からは「近代日本文学の最高峰」と評されているのである。

いったい何が、そんなに「スゴい」のか。それを言葉で説明するのは難しい。派手も、けれんも、笑いも涙もハラハラドキドキもない。刺激物ゼロの、一見ほとんど無味無臭のお茶のような一冊だ。ところがじっくりじわじわと、その奥から漂ってくる香りたるや、尋常ではない。これはいったい何なのか。

鴎外はこの史伝を書くにあたり、フィクショナルな虚飾をすべて取り去り、主人公の魅力とか(抽斎は確かにスゴい人物だと思うが、お世辞にも「魅力ある人物」とは言いがたい)行動の奇矯さとか、そういった刺激物をもいっさい捨て去り、ロマンスもサスペンスも感動も笑いも、つまりは「小説的」なあらゆる要素を削り取った。その後に残る「核」のようなもの、それこそがこの『渋江抽斎』なのである。

そして驚いたことに、これがずいぶんと読ませるのだ。平凡で堅実な人生といっても、そこにはさまざまなドラマがあるものだし、人の「生きざま」がしっかりと根を張っていれば、見かけの派手さや波乱万丈など、実はたいしたことはない、ということか。

それでも、中であえて突出した部分を探すとすれば、おそらく抽斎の妻、五百(いお)の存在感だろう。さまざまなエピソードが紹介されているのだが、特に抽斎が金をたかりに来た連中に囲まれたとき、腰巻一丁で懐剣をひらめかせて現われるシーンは強烈だ。胆が座っており、見識は確かで、教養は海よりも深く、しかも忠孝の鑑。とにかく尋常の女性ではないのである。

他にも、さんざん親に迷惑をかけてきたドラ息子の優善が、県庁に入って出世して親を支えようとするあたりも、人生の妙味のようなものを感じさせてくれるエピソードであろう。人間とは変わるものなのだ。ちなみに本書の中ほどで抽斎は死んでしまい、後はその死後の話が続くのだが、そこでも抽斎の存在感はゆるがない。人の人生は死んだ後にこそ価値が決まってくるのだ、ということであろうか。

まあとにかく、ある意味で文学の極北に位置する一冊であることは間違いない。なお登場人物がけっこうたくさん出てくるので、余裕があったら人物相関図など作りながら読むとよい。というか、できれば版元のほうで、どこかにそういう図を入れておいてくれるとありがたい。家系図くらいは入れておいていただいてもよろしいのではないでしょうか、ねえ。