自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1464冊目】プラムディヤ・アナンタ・トゥール『ゲリラの家族』

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新しい年を迎え、はや7日目。そろそろ、エンジンをかけていきましょうか。

さて、いきなりだが、この小説はものすごい。切れば血が出る言葉で書かれている。個人の人生が否応なく政治や民族に関わり、そこに自らの命を委ねていく。インドネシアという国の人々の「切実」が、まさに血と汗と涙となって、ひとつひとつの文字にしみこんでいる。

舞台は大戦後のインドネシア。この国は、350年にわたるオランダの植民地支配、さらにはそれに続く日本軍の占領から解放され、わずか2日後に独立宣言を行った。しかしその後は、再び支配力を強めようとするオランダ・イギリスの影響を受けつつ部分的な独立を果そうとするグループと、あくまで完全独立を目指すグループに分かれてしまう。

結局、前者が後者を押し切ってオランダ側に妥協した独立協定を結んでしまうため、反対する人々は、ゲリラ闘争に転じて独立運動を展開する。本書の中心人物であるサアマンもまた、この戦いに身を投じ、そのため政府によって逮捕、死刑判決を受けてしまう。このサアマン逮捕によって稼ぎ手を失った家族たちの苦境と、サアマン自身の獄中の姿が、本書には交互に登場する。

唯一の稼ぎ手を失った家族の状況は、悲惨そのものだ。母アミーラは息子サアマン可愛さで精神がおかしくなる。家には金も食べ物もなく、上は19歳から下は8歳までの兄弟姉妹は、母の言動に怯えている。お金も食べ物も何もないのに、母は子供が働きに出ることを禁止する。

しかしその中でも、彼らきょうだいは誇りを失わず、毅然として頭を上げつづける。びっくりしたのは、サアマンの恩赦を働きかける人に対して言われる「兄さんを殺そうとしている人間に恩赦を願い出るのは汚い」という言葉。人命最優先の思想にどっぷり漬かった脳みそには、一瞬信じがたいものに映るが、ここにこそ、この兄弟姉妹の価値観と誇りが輝いているのである。

同時にサアマン自身もまた、獄中で恩赦を願い出ることを勧められ、きっぱりと拒絶する。兄弟姉妹で発想がぴたりと一致しているのである。もっともその理由は「自分自身、たくさんの兵隊を殺してきたのだから、いまさら仕方のないこと」だというもの。そして彼は、こんなふうに語るのである。

「もし魂が肉体と対立し、自分のやった行為が自分の理想に描いた崇高なものと鋭く対立したとしたら、それは、魂に勝利させるためにその肉体は滅ぼさなければならない、という証だ。理想に描いた崇高なものを勝利させるために、な」(p.146)

う〜ん、シビれる。なんとこれが24歳の若者のセリフである。信じがたい老成だが、考えようによっては、このサアマンのありようは日本でいえば、幕末の若き維新志士たちによく似ている。

坂本竜馬高杉晋作ら、若くして倒れた彼らもまた、日本人という民族、日本という「これからの国家」のために命をなげうった男たちであった。そこでは命はそれそのものが至上の命題ではなく、より高次の、より気高い目的のための手段になっている。サアマンやその同志たち、インドネシアの完全独立を目指して戦うゲリラたちの姿が、そこにぴったりと重なってくる。

もっともその戦いがもたらした犠牲は大きかった。特に残された家族にとっての犠牲の大きさは、なんとも測りがたいものがある。しかしそれでも、幼い兄弟姉妹たちは胸を張り、「アマン兄さん」と同じように大いなる目的のため誇り高く生きることを知っている。なるほど、なるほど。こういう人々(著者プラムディヤ自身もその一人であるが)がたくさんいたからこそ、インドネシアは、紆余曲折はあったにせよ今のような独立を勝ち取ることができたのだ。

そんな人々の想いがぎっしり詰まった、本書は実に「熱い」一冊だ。命を振り捨てるほどの大義や目標に出会った人々の、熱気。なまぬるい現代の日本にいてこの本を読むということは、その熱気に打ちのめされ、吹き飛ばされる読書をするということである。

傑作。ただし、心して読まれたい。