自治体職員の読書ノート

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【1454冊目】マーティン・ファクラー『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

一見、煽り系のタイトルだが、中身はけっこう充実している。なにしろこの著者、ブルームバーグ東京支局、AP通信を経てニューヨーク・タイムズ東京支局(現在は支局長)を務めているという、スジガネ入りのプロフェッショナル・ジャーナリストなのだ。

しかも日本を舞台にキャリアを積み重ねてきた。311をめぐる報道では、ピューリッツァー賞国際報道部門のファイナリストにも選ばれている。

そんな著者だから、日本の大手メディアの問題点は、それこそ骨身に沁みて知り抜いている。記者クラブ制度の閉鎖性、官庁や企業べったりの「大本営発表」体質、ニュースソースを明らかにせず、たいした理由もなく匿名の「関係者」の発言を安易に垂れ流す姿勢……。アメリカのメディアは権力の「watch dog(見張り役)」だが、日本の大手メディアは権力の番犬だ、という指摘は痛烈だ。

アクセス・ジャーナリズムという言葉も紹介されている。権力に近づきすぎたジャーナリズムのことをこう呼ぶらしいが、日本の大手メディアの問題点は、まさにこのアクセス・ジャーナリズムに象徴されている。

もちろんアメリカも、この問題とは無縁ではない。実際本書でも、イラク戦争をめぐる大量破壊兵器報道にからめて、ニューヨーク・タイムズのジュディス・ミラーがアクセス・ジャーナリズムに「はまった」ことを白状している(こういうところが本書は実にフェアである。なにしろニューヨーク・タイムズは、著者自身が東京支局長を務めるメディアなのだ)。

だが少なくともアメリカでは、アクセス・ジャーナリズムという言葉が存在し、問題視されている。ひるがえって日本の大手メディアの記者クラブはどうか。「当局や大企業との距離を詰めれば詰めるほど、記者クラブメディアでは高い評価がなされる。取材対象と身内のように仲の良い関係を築いた者ほど、「情報が取れる記者」として会社組織から重宝される」(p.131)

個人的心情としては、日本の記者クラブもそこまでひどくないと思いたいのだが、さてどうだろうか。だって、もしこういう姿勢で取材がなされているのだとすれば、それは「記者にとっての情報の取りやすさ」を「読者に伝えるべき情報」とバーターしていることになるのだから。しかし、そのために書くべきことまで書けないのであれば、メディアとしては本末転倒と言わざるを得ない。

とりわけ震災、中でも原発報道ほど、政治家や学者と並び、メディアの信頼性がガタ落ちになったことは、いまだかつてなかったように思われる。しかもその「不信」は、今もなおまったく拭えていない。この信頼を取り戻すのに何年かかるか、考えると絶望的になってくる。

今の日本には、ふたつの「現実」がある。大手メディアが報道する「現実」と、そうではない「現実」だ。かつては、ほとんどの国民が、世の中にはテレビに映った現実しかないと思っていた。しかしここのところ、だんだん化けの皮がはがれてきて、どうやらもうひとつの現実があるらしいことに、多くの心ある人たちは気づきはじめているように思われる。

ここでいう「もうひとつの現実」とは、例えば小沢一郎陸山会事件で「はめて」政界から追い落とそうとする検察がいる現実であり、毎週のように大規模で整然とした反原発デモが行われている現実であり、大企業が広告で大手メディアを縛りながらやりたい放題をやっている現実であり、その陰で先進国トップレベルの格差と貧困に日本社会が喘いでいる現実である。

要するに、新聞には絶対に載らない(週刊誌がすっぱ抜きで載せたりするが、信頼性が低いので結局意味がない)「現実」が、日本はあまりにも多いのだ。著者がニューヨーク・タイムズの署名記事で暴きつづけたのも、こうした「もうひとつの現実」であった。だからこそ、311の後、日本の大手メディアに失望した多くの人々が、海外メディアの情報に頼ったという。大手メディアの方々は、この現象をいったいどう考えるのだろうか?

それでも最近は、ネットがその状況に風穴をあけつつある。記者クラブの問題点も、だいぶ多くの人に知られてきたようだ。本書はそうした状況全体をプロのジャーナリストの目で捉えた力作。来るべき総選挙の前に、日本人誰もが読んでおくべき一冊である。