自治体職員の読書ノート

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【1451冊目】カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』

ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)

ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)

本書の原題は"Manual del canibal"。直訳すると「食人者の指南書」とでもなるようだが、白水社ではこれに『ブエノスアイレス食堂』という邦題を付けた。ブラボーである。邦題が原題を超えることは残念ながらめったにないが、本書はそのレアな例。

なぜなら、本書はなんといっても1911年に移民カリオストロ兄弟によって開かれたビストロ「ブエノスアイレス食堂」をめぐる年代記であるからだ。そこで提供される絶品レシピのほとんどは、兄弟がイタリア生まれの天才的料理人、マッシモ・ロンブローゾに教えを受けたものだった。

兄弟はそのレシピを「南海の料理指南書」にまとめた。この「指南書」こそが、その後の70年にわたるブエノスアイレス食堂を支え、アルゼンチンの人々に途方もない美味を提供し続けた。

第一次世界大戦。軍事クーデタ。歴史の波に翻弄されるブエノスアイレス食堂の数奇な運命を、本書は流れるように語っていく。そう、本書は「書かれている」というより「語られている」というほうがぴったりくるような、饒舌で流麗な「語りの文学」なのだ。

時間が前後したり、おもしろいエピソードが自在に挿入されたり、もったいぶった言い回しで見せ場をつくったりと、その「話法」は変幻自在。食堂の歴史にはエバ・ペロン(エビータ)やチェ・ゲバラまで登場する。そしてまた、そこで提供される料理のおいしそうなことと言ったら!

だがここまでの内容なら、本書は到底「食人者の指南書」にはなりえない。なぜなら、この本は絶品レシピを次々に披露する「グルメ小説」でありながら、なんとその裏側に「カニバリズム」(食人)の対旋律を流し続ける、とんでもない小説なのだ。だいたい本書の最初の一文が、コレである。

「セサル・ロンブローソが人間の肉をはじめて口にしたのは、生後七ヶ月のことだった」

紀伊国屋書店の「ほんのまくら」フェアにはゼッタイ入れられない一冊ですな。

そして、これにつづく冒頭2ページがとにかくおぞましい。母親の乳首を食いちぎり、死んだ身体をむさぼって生き続けるこの赤ん坊セサル君、「ロンブローソ」という名で分かるように、カリオストロ兄弟に料理を伝えたマッシモ・ロンブローソと血がつながっている。本書はブエノスアイレス食堂の年代記であると同時に、マッシモからセシルに至るロンブローソ一族の物語でもあるのだ。

そしてマッシモの末裔セサル、生まれながらのカニバリストが食堂にあらわれた時、絶品レシピの数々は、さらにその質を上げる。しかもそこで提供される「食材」はなんと「人肉」。まさにカニバリストの饗宴が、食べている側は知らぬままに繰り広げられるワケなのだ。

まあなんというか、人肉を食うシーンが出てくる小説はないわけじゃないが、これほどまでに「旨そうな」料理になって出てくるのは本書が初めてではなかろうか。読んでいて、マルケスの『族長の秋』だったかに、謀反をたくらんだとされた将軍の「丸焼き」を宴席に出すシーンを思い出したが、本書はそのはるか上を行く。

もう一冊、読んでいて思い出したのは、パトリック・ズュースキントの小説『香水』(映画化もされましたな)。アチラは「香り」をめぐる暗黒小説だったが、コチラは「味覚」。もっとも、料理は味だけでなく見た目や匂いも総動員するものであって、そのことは本書の描写にもあてはまる。

また、冒頭のグロい食人シーン以降、セサルの出てくる後半まで、おぞましいシーンは時々読者に思い出させる程度にしか出てこない。どこにでもありそうな(でも途方もなく面白い)ビストロの歴史が淡々と語られるだけである。

しかし読んでいても、冒頭のショッキングなシーンを忘れることは一瞬としてない。むしろヨダレの垂れそうな料理の描写を読むたびに、その後の展開が予想できてしまい、嫌な予感に背筋が寒くなるのである。しかも著者は、明らかにそれを計算ずくでやっている。

語りの流れと、構成の周到。なんともおそろしい作家が現われたものである。

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