自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1444冊目】マックス・ウェーバー『権力と支配』

権力と支配 (講談社学術文庫)

権力と支配 (講談社学術文庫)

ウェーバーといえば「支配の三類型」が有名だ。「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」というアレである。本書の前半部は、この三類型を軸に、支配の力学=政治を扱っている。

ウェーバーはこの三類型を、正当性の問題と結びつけて論じている。つまり、支配という行為がなぜ正当化されるのかというロジックが、類型ごとにそれぞれ異なるのだ。

「合法的支配」は、成文化された秩序、すなわち法秩序が重要だ。人々は特定の人そのものというより、その人によって体現された「没主観的・非人格的秩序」に服従する。官僚制にもっともなじむのは、このタイプだ。

「伝統的支配」は、古くからの伝統に正当性を感じる。伝統によって権威を与えられることで、特定の人に従う。

「カリスマ的支配」の場合は、人ありきである。「ある人物およびかれによって啓示されるか制定された秩序のもつ、神聖さとか超人的な力とかあるいは模範的資質への非日常的な帰依」(p.30)とあるとおり、この支配類型の特徴は「非日常」という点にある。

もちろんこの分類は、すべての支配の形がこのどれかに入る、ということではない。むしろ支配とは、この三類型の組み合わせによって位置づけられる。それでもこうした分け方は非常に示唆的だ。たとえば今度の衆院選に登場する政党を、この三類型で分析したらどうなるか。自民党は? 民主党は? 維新の会はどの支配の要素が濃いだろうか。

中でも気になるのは「カリスマ的支配」の非日常性だ。なぜなら、非日常の状態は、少なくとも国家レベルの統治では、そうそう長くは続かない。本書でも指摘されるとおり「日常化」が必ず起こってくる。その結果は、他の類型である「合法的支配」か「伝統的支配」への合流なのだ。カリスマの支配は長続きしないということ。覚えておこう。

さて、こうした支配類型も興味深いが、やはり自治体職員として気になるのは、第二部の「官僚制」のほうだろう。ちなみに支配類型との関連でいえば「合法的支配」が官僚制ともっとも縁が深いのだが、伝統的支配やカリスマ的支配も、長期化し、国家の規模が拡大するにつれて、官僚制が必要になることが多い。

さて、行政学の教科書などを読んでいると、ウェーバーの官僚制論はかなり否定的に書かれていることが多い。ウェーバーは官僚制の長所をいろいろ認めたが、実際にはその長所(例えば専門性の高さとか、明確な指揮命令系統とか)が、すなわち短所でもある(例えば専門分野のタコツボ化、硬直性や縦割り主義など)、といった具合である。

こうした指摘自体はもっともであるが、ウェーバーがこうした問題点に気づいていなかったとはちょっと思えない。むしろ本書を読む限り、ウェーバーはそうした問題点に気づきつつも、あえて官僚制の特質に絞り込んで論を展開しているような印象を受けた。だいたいウェーバーは官僚制を「礼賛」しているわけではない。近代国家の出現とともに、結果として官僚制が必須のものとして登場したという「歴史的必然」を語っているにすぎないのだ。

ポイントは「複雑化」「専門化」である。「近代文化が複雑化と専門化の度を加えるにつれて、それは、個人的な同情、恩寵、恩恵、感謝の念に動かされる旧い秩序の首長のかわりに、人間的に中立・公平な、それゆえ厳密に「没主観的」な専門家を、それ〔近代文化〕をささえる外部的機構のために必要とするのである」(p.259)

さらに近代の「大衆化」が官僚制に拍車をかける。ウェーバーは「社会的差別の平準化」を官僚制の機能として挙げる。官僚は抽象的な規則に基づいて支配を行うがゆえに、特権やその場限りの事務を拒否し、そのため旧来の差別的・特権的身分は解体されざるを得ないというわけだ。まあ、このあたりも射程範囲についていろいろ議論があるところだとは思うのだが。

他にもいろいろと詳細な分析がなされているが、さすがと思わされたのが情報をめぐる指摘。そもそも官僚の主君に対する優越性は、官僚が情報を握っていることによる。さらに官僚自身そのことを理解しており、一定の知識や情報を秘密にすることによって優越性を高めようとする、というのである。「情報公開」という制度が官僚制にとって持つ意味がよくわかる一節だ。

「「職務上の機密」という概念は、官僚制独自の発明物なのであり、まさしくこの態度ほどの熱心さをもって官僚制が擁護するものは、ほかになにひとつとして存在しない」(p.294)

なにはともあれ、単行本でしか入手できなかった『官僚制』も、大著『経済と社会』の(解説者によると)「ハイライト」も、こうしてコンパクトな形でまとめられたのは嬉しい。

ただ本書、残念ながら翻訳がまずい。あとがきによれば半世紀以上前の翻訳を「旧訳のままでよい」と編集者に言われて出版したとのことだが、訳者自身が心配しているとおり、いくらなんでもこれは古すぎる。

いや、古くたって良い訳はたくさんあるのだが、本書は一昔まえの学術書の翻訳に良く見られるタイプの直訳調。語を補った箇所を律義にカッコでくくったりしていて、研究にはそのほうが良いのだろうが、普通に読むにはたいへん読みづらい。

そういえば、ウェーバーもうひとつの代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、最近中山元の新訳が出た。なかなか評判も良いらしい。本書も、ぜひ新訳で再版を!

日経BPクラシックス プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神