自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1436冊目】山崎亮『コミュニティデザインの時代』

コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)

コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)

コミュニティデザインとは「つながりのデザイン」であると、著者は言う。

もともと、著者は「ふつうの」デザイナーだったらしい。ところがハードの設計をするうちに「空間のデザインとコミュニティのデザインを同時に進めることができれば、できあがった空間で活躍するコミュニティが誕生する」(p.70)ことに気づいた。従来の空間デザイナーは、使い勝手の良い空間を用意すれば、人は勝手に集まってくるものだと思っているフシがあった。しかし著者は、それではダメなのだと考えたのだ。

コミュニティで起こっている衰退や解体は、ずいぶん前から問題視されていた。その解決を目指す「コミュニティデザイン」の試みもまた、1960年代から行われてきたという。コミュニティデザインという言葉は別に著者の専売特許ではないらしい(著者自身がそう主張している)。

コミュニティデザインの発展段階を、著者は3つに分ける。最初は1960〜70年代の住宅地デザイン。ハード整備によってコミュニティを生みだすという、まさに著者自身の当初の発想だった。日本ではいわゆるニュータウンが典型例であり、それなりの成果を収めた。

第二段階では、コミュニティ自身、住民自身がハードのデザインに参加するようになる。特に公共施設のデザインに住民参加を取り入れた。自ら参加することでコミュニティ意識を高めるという発想がその根底にあった。ワークショップの手法や「まちづくり」という言葉がよく使われるようになったのもこの段階だ。

そして第三段階。今度は「ハード整備」そのものが消えた。第二段階では「ものをつくる」ために人々が集まり、そこにつながりが生れていた。でも、だったら「ものをつくる」ためでなくても、人は集まるのではないか。折からの財政難もあり、ハード整備自体のパイが少なくなっていたこともあり、こういう発想があらわれてきたのである。

しかし、だったらどんな理由で人が集まり、つながりが生れるのか。その実例は本書や、以前取り上げた前著『コミュニティデザイン』に詳しい。まあ、平たく言えばなんでもいいのである。商店街のイベントでもいいし、特産品開発でも、町の総合計画だっていい。

ところが面白いことに、たとえば特産品開発なら、そのために集まったコミュニティが、今度は販売した利益で広報を作ったり、コミュニティバスを走らせたり、外国人を呼び込むツアーを主催したりするようになる。共通のテーマを軸に集まったコミュニティが、そこにとどまらずいろんなことをやりはじめるのだ。著者はそれを「自走」と呼ぶ。

言い換えれば、コミュニティデザイナーとはコミュニティがこうして「自走」するまでが仕事なのだ。極端なことを言えば、コミュニティデザイナーがいらなくなるというのが、コミュニティの理想的な状態だ。著者はこう書いている。

「そしていつか「コミュニティデザイナー」という肩書きが消えればいいと思っている。地域の外からコミュニティデザイナーなる人がやってきて、その地域の人のつながりをつくって帰るというのは、少し異常な状態だ。そうまでしなければつながりは生まれないのだろうか。地域の人同士が自然につながり、協力してまちのために活動するような時代は来ないのだろうか」(p.100〜101)

別のところでは、著者は自身のことを「ヨソモノ」と呼ぶ。ヨソモノというとあまり良いイメージがないが、実際にはヨソモノだからこそ言えること、ヨソモノだからこそできることがある。特に日本の地域共同体は、新しいことを自発的に始めるということがなかなかできない。どうしても外からの刺激が必要なのである。その役割を担うのが「ヨソモノ」なのだ。

いや、ヨソモノという言葉がそもそもよろしくない。むしろ私は著者のような人を、折口信夫(と松岡正剛)にならって「マレビト(客神)」と呼びたい。日本はこれまで、外からやってきた「マレビト」によって変革を促され、進歩を遂げ、危機を回避してきた。外部の存在によって閉じた共同体に風穴をあけられ、それをきっかけに変貌を繰り返してきた。そもそも「神」自体が、日本にとっては外からやってくるマレビトなのだ。

著者は「日本」という国にとっては内なる人物だが、多くの地方にとってはまごうかたなき「マレビト」であろう。神ならぬ人の身のマレビトにはマレビトのご苦労があることと思うが、今後の活躍を楽しみにしたい。

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる